11月25日(日)《プロジェクトなづき『液晶線』》公演評(評:北里義之)

11月25日(土)東陽町.kitenにて、プロジェクト<なづき>の第2回公演『液晶線』を観劇。川津 望さんの詩集『ミュート・ディスタンス』(2018年11月、七月堂)を月読彦さんが脚本化、別に宮沢賢治のテクストも引用しながら作られた朗読劇。基本コンセプトは、「ある困っている男1(今井歴矢)がいて、その困っている男を困った奴だと罵る男2(山田 零)がいる、その二人が液晶線という電車に乗って、死んだ娘ナミ(貝ヶ石奈美)とその娘と瓜二つと思えるような女性(川津 望)をめぐって会話しながら、どこかへ行く話」とのことで、その他の登場人物には、液晶線のなかで出会う不思議な男(上野憲治)や、コロス役を兼任するミュージシャンの園 丁(鍵盤、オーボエ/コロス1)、山崎慎一郎(ギター/コロス2)のおふたりがいます。音楽家は作曲/演奏するだけ、ダンサーは踊るだけでなく、朗読劇の声の提供者にもなります。タイトルの「液晶線」は、劇中の台詞によると「まわる。まわっても、むかっても、やがてはもどる」山手線のような電車のことで、出演者たちは、「シュー」「カター」という走行音をさかんに発したり、「行く」「戻る」「帰る」といった時間性を剥奪された定形詞(辞書のなかの言葉)を折りこんだ台詞で対話したりしながら、どこに着くのかわからない迷宮のような、あるいは最初から目的地にいるような液晶線をたどっていくという物語でした。コロスの役割が演奏家にあてられていますが、実際には、全員がヴォイスをするときに立ちあがってくる声の集団性こそがコロスになっていました。その一方で、個人詩集である『ミュート・ディスタンス』を複数の声へと(解体/再構築するというより)撒種する月読彦さんの脚本は、言葉が本来的に持っているポリフォニー性を聴き手にはっきりと感覚できるようにしたもので、出演者たちは言葉が撒種されていく先の土地(液晶線の到着駅であり、あえてデリダを引用していうなら誤配された郵便の受取手というべきもの)となり、意味を失って発声される出演者のヴォイスは、コロスというひとつのもの、すなわち同じ液晶線をたどってつねにすでに回帰してくる土地になるという存在の重層性をふたつながらに持っているようでした。すべてはあらかじめ語られていて、「液晶線」こそは「なづき」の別名ではなかったでしょうか。■




(撮影:赤羽卓美)

 

8月26日(マチネ)『なづき』公演評(評:北里義之)

 


(写真:佐藤ユカ)

(写真:川津望)

8月26日(日)東陽町.kitenにて、月読彦/川津望のおふたりが主宰する “プロジェクトなづき” の第一公演『なづき』のマチネを観劇。詩人、俳優、劇作家、作曲家/演奏家、ダンサー、美術家と、それぞれに才能を発揮して独自の活動をしている個性が集まり、ひとつの作品制作に関わることで場/場所が発生するという、「起点」としての.kitenのありようを、抽象的なビジョンではなく、現実としてそのまま提示してみせる作品でした。その意味では、SNS上に投稿される数々の経過報告から、すでに作品ははじまっていたと思います。今回参加されたのは、ダンス関係[日替わり出演]では、貝ヶ石奈美、武智博美、武智圭佑、秦真紀子のみなさん、演劇関係では、田口 和、アルチュール佐藤、山田 零、月読彦、山崎慎一郎、川津 望、今井歴矢のみなさん、演奏/作曲関係では、園丁、川津 望、やましん、米倉香織のみなさんでした。ここでの「ダンス」は、秦真紀子さんが「妖精」を演じるという性格のものでした。このことからして、公演の全体を今風にいうなら、テント芝居の色彩を色濃く残すフィジカル・シアターとでも呼べるのではないかと思います。アルチュール佐藤さん演じる「なづき」は、「脳」を意味する古語(あるいは方言)で、電気パルスのリゾーム的接合を本質とする、存在としてはとらえられないそのありようが人格化されたもの。わけのわからないことばかりとりとめもなくしゃべりつづける横町の賢者おじさんのように演じられていました。描き出される物語は、「起点」を.kitenとするような関係のありよう、すなわち無限に才能が連結していくなづき的関係性そのものの未来を、田口和さんが演じる遺産相続人の鈴木目次/ポウ・ポーに相続させるという物語、あるいは相続人が自分の当事者性に気づく物語だったように思います。この意味で、最後の場面に登場した「おば」が、祖父の財産をひとりじめしようとするエピソードは、分割したり、所有したりできる抽象的価値(金銭)の相続のことをいっていて、なづき的相続との鋭い対比になっていたと思います。ただしこれらの言葉に対する目次の応答は空蘭になっていました。おそらくはそこが未来に開いた唯一の穴ということなのでしょう。■

(写真:川津望)

(写真:佐藤ユカ)

舞踏考 鎮魂(2018年3月11日)評:宮田徹也


(撮影:小野塚誠)

FBイヴェント頁によると、「舞踏考」は「現在、舞踏はどのようなまなざしを得ているでしょう。(中略引用者)舞踏家に留まらず、多くのジャンルの表現者にもお集まり頂きたく思っております(川津望)」ということを主眼とするシリーズである。第一回が本公演であり、東日本大震災が起こってから7年、主題は「鎮魂」となった。

 

この日のインスタレーションは、川津望と演劇者のゲストである谷川俊之が形成した。舞台左奥に展開している。割り箸、骸骨、紐、網、針金、毛糸、枯れ枝等によって構成され、私は荒れ果てた更地というよりも、津波そのものを感じた。私は当時から今日まで3.11の映像は目にしていないが、仙台・閖上港へは取材に赴いたことがある。

 

ハーモニカのような電子音が聴こえてくる。山崎慎一郎と川津が舞台右に登場する。山崎はボイスからバスリコーダ、川津は細かいタンギングを発する。山崎はボイスとリコーダを交互に演奏する。川津は細かく笑っては声を捻り出す。闇の中で二人の掛け合いは凡そ10分続き、来るべき物語の序章の役割を果たした。

 

森川雅美が舞台に登場し、朗読を始める。「訪れる、訪れる。風の向きが変わる。7年の時間。小さく見えています。私達はゆっくりと容を失います。黙祷、黙祷、黙祷」。山崎はハウリングを入れ、川津はハミングを繰り返す。三者による鎮魂の儀は、20分続いた。それは、繰り返し噛み締めるような悲しみに満ち溢れていた。

 

黒いビニールを被り、尻尾のようなホースをつけ、上体を床と平行し、膝を折って低い姿勢のまま、小林嵯峨は舞台を廻っていく。森川は朗読を続け、山崎は電子音によるノイズを、川津はスクリーミングを放つ。舞台中央右で嵯峨は蹲る。長い沈黙を経て、嵯峨は突如立ち上がる。正に地鳴りが起こったように。

 

嵯峨はビニールを被ったまましゃがみ、両手を広げ、中腰でさ迷う。床を転がる。ビニールが解かれると、マスクをつけ、胸元に紐の塊を入れている嵯峨の姿が剥きだしとなる。顔につき長く後方に伸びたホースを外し、立ち上がり、上を向き、腕を巡らせる。膝が床につき、首が擡げ、背が床に近づく。腰で座り、肩を揺らす。

 

胸元のオブジェを外し頭に乗せて、立ち上がり辺りを揺らぐ。山崎のリコーダ、川津のボイスが嵯峨の動きによって派生する。森川の朗読が続く。嵯峨は腰を低くしながらも爪先で立ち、うつ伏せから大の字の仰向けとなる。嵯峨はマスクを取り、腰で立ち、立ち上がろうとするが瓦礫のように崩れていく。

 

嵯峨は膝の間に顔を埋める。そして、退場する。嵯峨は焦げ茶のシュミーズに着替えて舞台に戻る。胸には薔薇、腰にはぬいぐるみをつけている。嵯峨はインスタレーションの傍らに腰をかける。立ち上がり、首を傾け、横へ進む。中央で立つかと思うと、客席との結界を破るかのように突き進み、後方壁面で立ち尽くす。

 

嵯峨はインスタレーションに薔薇を捧げる。山崎の電子音とボイス、リコーダ、川津の声、森川の朗読は絶え間なく続いていた。袈裟を纏った谷川俊之が鐘を鳴らし、般若心経を唱え、舞台を鎮めると85分の公演が終焉する。

 

山崎と川津の演奏は緩急がつき、森羅万象の無情さを感じさせた。森川の朗読は非常に現実的であるからこそ、実体を忘れてはならないことを暗示させた。嵯峨の舞踏は正に舞踏そのものであり、このシリーズの本質を貫いた。同時に嵯峨の鎮魂もまた、形而上と形而下の根源を我々に突き付けたのであった。

 

本公演では舞踏の根源の開示と、舞踏が他のジャンルの表現者との共演を果たせるという姿を見せてくれたのであった。朗読、演奏、声。技術など不要である。我々は自らと自己を取り巻く人間と環境と共に共存し、生きることと死ぬことの尊さを実感しなければならない。そのために、芸術は不可欠であることを伝えていかなければならない。

(宮田徹也|嵯峨美術大学客員教授)

 

小林嵯峨(舞踏)

谷川俊之(ゲスト)
森川雅美(即興詩)
山崎慎一郎(音楽)
川津望(ボイス)

演出/照明(月読彦)

19:15-20:40

(撮影:小野塚誠)


(撮影*小野塚誠)


(撮影:大杉謙治)


(撮影:大杉謙治)

 

 

 

 

          (撮影:小野塚誠)

 

 

静かな空間の静かな身体──久世龍五郎×川村祐介@塚本よしつぐ「水のトーテム」(評:北里義之)

(撮影:北里義之)

 塚本よしつぐのインスタレーション展『水のトーテム』のなかで、舞踏家の久世龍五郎とトランペット奏者の川村祐介が共演した。今回塚本はイベントの人選と組合せも担当、さらに正面の壁に作品の入っていない額縁を掲げ、公演中にプロジェクターを使って額縁を含む壁面に映像投影をおこなうライヴ・インスタレーションもおこなったので、本公演も実質的にはトリオ・セッションとしておこなわれた。

 

室内の壁や天井の全面には、内側にべったりと接着剤を塗ったブルーのビニール袋が、煉瓦を積みあげるように規則正しく貼りめぐらされ、下手コーナーの床面には、半分ほど水が入ったビニール製のキューブを積みあげて小さな空間を囲い、池のようにもプールのようにも見える空間を形作っていた。正面の壁に投影される映像も、水面に油や絵具を流してできる文様を使ったキネティックなもので、インスタレーションは水のイメージを多層的に塗り重ねていくものになっていた。狭いキューブ内に作られた畳一畳ほどしかない空間を使って踊った久世に対し、反対側の壁を背にして床に正座した川村は、踊り手の動きに直接的な反応を返すことなく、またなんであれメロディーの印象を残す演奏もせず、風が吹きわたるようにして楽器を鳴らし、いまここの空間を全身で感じながらその全体を支えるようなサウンドを間歇的に出しつづけるパフォーマンスをおこなった。即興的なセッションというと、どうしても対話的な展開がイメージされがちだが、川村の演奏は、サウンド・インプロヴィセーションと呼べるような、空間そのものを浮かびあがらせる響きの音楽であった。

 

空間に働きかける川村の演奏とは対照的に、水のはいったビニールキューブに囲まれた狭いスペースに自身を閉じこめた久世の舞踏は、動きよりも形を重視し、空間にパズルのように身体をはめこんでいくもので、即物的というのとは違う、あえていうなら幾何学的にとらえられた身体というべきものだったように思う。つねにみずからの身体に意識を集中しながらおこなわれた踊りは、膝を屈する、背中を丸める、尻と足先ををあげてうつぶせに寝そべる、床にすわる、倒立して両脚をまっすぐうえにあげる、壁に面して立つといった動きを、ひとつひとつていねいに経由していくダンスだった。脚が床からゆらゆらと生えるようにのびて動く倒立の姿勢や、不安定に身体を浮かすようにしてうつぶせた上体のしたから、逆さになった顔がのぞくといった形を例外として、ごくささいな日常的動作が、非日常の身体の形と同じ密度と集中力をもって踊られていった。

 

ちなみに川村の音楽は、.kitenのようなホワイトキューブの空間よりも、サイトスペシフィックな環境のなかに置かれるとき、その本質を開示してくるように思われる。空間性よりも場所性が際立った環境を響かせることが、身体をその場に溶けこませることにつながるためだが、正座して臨んだ.kitenのセッションでは、身体を殺すようなニュアンスが生まれてしまっていた。一方の久世の舞踏も、グラスホッパーのジャンプを反復するというような、即物的な動きをタスクにした場面構成がなされるときに彼らしさが前面にあらわれるように思うのだが、今回の設定では、そうした自由を行使することも望めなかった。

 

演奏家の身体や、演奏家が奏でる響きと踊りとの対応関係はなく、壁面に投影される塚本の映像が、それらふたつの身体をつなぐということもなく、公演はディメンションを違えた個々の風景がそれぞれに流れていくというものだった。ある意味では、そのようにすることによって.kitenの極小空間をもっとも広く使ったパフォーマンスともいえるだろうか。最後の場面で、キューブのひとつを右肩に乗せた久世は、キューブで仕切られた結界の外に出てくることでクライマックスを作った。外の世界に歩み出た舞踏家は、それでも演奏家と対峙する様子はみせず、川村の前を静かに通過してステージの外へと消えていった。静かな「水のトーテム」の空間に、三者三様の身体が静かにインスタレーションされた公演だった。■

 

(観劇:2018年1月27日|執筆:2018年2月4日)

批評アーカイブ目次

動体証明からゴク私的ダンスへ  ――深谷正子×佐藤ペチカ<GUU・偶・シリーズ>vol.10『蟻と太陽と私』(評:北里義之)

速報:量産型美意識への反逆――トビハ「クラウド・チキン」(評:北里義之)

即興演奏するダンス──木村 由「クラウド・チキン」(評: 北里義之)

まるで聾演劇のように──yurina「天板のないテーブル」5日目(評:北里義之)

穴だらけの空間で──南阿豆「生成/〜になる」最終日(評:北里義之)

胎児のまどろみ、羊水としての水──田辺知美「水のある光景」(評:北里義之)

深谷正子「水のある光景」(評:北里義之)

横滑ナナ「水のある光景」(評:北里義之)

武智博美「水のある光景」(評:北里義之)

岡佐和香「水のある光景」

「〈動体証明〉の証明」11/27 Guu-偶 コレクション 3つのソロ~くだをまく~佐藤ペチカ 斉藤直子 深谷正子 @kiten(評:宮田徹也)

日本文化の根底を模索する―「Performances & Exhibition 浜田剛爾展」(評:宮田徹也)

批評◎『GUU―偶―くだをまく』(評:宮田徹也)

批評◎GUU-偶-Vol.③(GUUシリ─ズコレクション)『スネの傷をめぐる2つのソロ』(評:宮田徹也)

動体証明からゴク私的ダンスへ  ──深谷正子×佐藤ペチカ<GUU・偶・シリーズ>vol.10『蟻と太陽と私』(観劇日:2017年12月26日)(評:北里義之)

(撮影:宮川健二)

 アートスペース.kitenのスタートを記念する企画のひとつとして、2013年から翌年にかけて集中的におこなわれた深谷正子と佐藤ペチカの<GUU・偶・シリーズ>は、会場の狭さを逆手にとり、この場所でしか可能にならない身体表現を構想し、月例パフォーマンスによってその可能性を模索していく試みだったが、シリーズが進むにしたがって観客の視線の近さからくる閉塞感に精神的ないきづまりをきたし、一年で中断することとなった。『蟻と太陽と私』は、封印されたこのシリーズを、3年ぶりに解き放つ公演だった。彩の国さいたま芸術劇場で公演された川口隆夫『大野一雄について』を観劇した帰途、踊り手ふたりと.kitenの主宰者である奥野博の間で急所決定された公演。それは偶然に起こったものではなく、やはり「時熟」というようなもの、身体が持ち運んでいる時間がおのずから満ちて開かれたものというべきだろう。再開公演の実現を可能にしたこの3年間における踊り手の変化を、深谷自身の言葉によって、「動体証明からゴク私的ダンスへ」ということができる。それはおそらく振付家としての深谷正子が構想した新たな身体表現のヴィジョンを、踊り手としての深谷正子が受容していく年月だったのではないかと思う。このような身体の旅を実現するために、佐藤ペチカの存在は欠くべからざるものだった。

 

「はい、おくしゅり。わすれないで。おだいじに。」などといいながら延々と一人遊びする子どもの声に軽快な音楽を重ねた音響(サエグサユキオ)が流れるなか、あざやかなグリーンの短パン上下に白のブラウスを羽織るように着たふたりの踊り手がならびたつ。顔の向きだけを動かしてしばしの静止。踊るというより、もじもじと動きだすといった感じのふたりは、相方に肩をつけたりブラウスの端をつかんだりして、身体の一部を離さないようにしながら密着ダンスを展開していった。本シリーズで深谷がコンタクトを試みるのは初めてとのこと。そもそも通常のダンス・セッションにおいて深谷はコンタクトを極端に嫌う。共演者が近づけば逃げ出すほどである。これは<GUU・偶・シリーズ>の佐藤ペチカという枠組みがあってこそ実現したコンタクトダンスなのである。

 

共演者に身体の一部を密着させながら周囲を回ったり、背中と背中をぴったりと合わせて相手に乗りかかっていったり、プロレスの四の字固めを思わせる格好で床に寝て足をとったりするコンタクトの様子は、深谷が空手チョップでペチカの背中や足の裏を弱々しくたたいていたせいもあり、終始プロレスめいた雰囲気を漂わるコミカルなものだった。デュオが格闘する様子は、ダンスの犬 ALL IS FULL 公演『落下する意志あるいは水』(2017年5月、高田馬場プロト・シアター)で、ペチカが3脚の椅子と格闘して組み伏せた荒技に直結している。唯一の舞台装置といえるのが、下手に寄せて敷かれた水色と白のストライプ模様のマットとそれに盛られた一山の砂である。公演の最後の場面は、このマットをふたりの間に引き寄せ、ペチカが立てた左足の膝をおおうサポーターの部分に、深谷が右の足裏をつける格好ですわる姿勢をとりながら、ふたりして周囲から砂山をかき崩していくものだった。砂のなかから凝固した砂の塊を掘り出すとふたりは立ちあがり、公演冒頭に戻って、下手の深谷がペチカの右腕をとる形でならびたつところで終演となった。

 

アートスペース.kitenは、パフォーマンス・スペースとしては極小の空間といってよく、その狭さが踊り手に様々な制限を課してくる。暗闇を作ったり、照明を工夫したりすることで観客の想像力をかき立てる方法もあるわけだが、<GUU・偶・シリーズ>は、そうした演出を排除して、場所の身体性をむき出しにするようなダンスを構想したといえるだろう。動きや身ぶりの形を超えて観客の視線を誘発してくる身体をまるごと提示することで、その生理までをもリアルに感じ取らせるダンス。のちに深谷自身によって「ゴク私的ソロダンス」と命名されることになる方向が、それとは知られずに模索されていたといえる。日常的なしぐさをダンスに取り入れるポストモダンダンス的なタスクとは違って、ダンスという場そのものを動かすため、自立する踊り手として蓄積してきたはずのダンスの文法を、これまでとは逆に、ひとつずつはずしていくような作業。その結果、どこへおもむくことになるのかはわからない終着点に、Xとしての身体を置くこと。こんなふうに無条件に身体を信じられるのは、女性ならではの特権だろう。動きの細部が際立つ環境のなかで、ふたつの身体の間で、触れる/触れられる、引く/引かれる、押す/押される、乗る/乗られるといった動作が瞬時に反転していくありさまをつぶさに見せながら、それが踊り手の体力がつづくかぎりどこまでもつづいていくダンス・パフォーマンス。3年ぶりにおこなわれた<GUU・偶シリーズ>の『蟻と太陽と私』は、まさしく「ゴク私的ダンス」のデュオ・バージョンとなっていた。■

(2018年1月2日 記)

 

 

【補註】これまでにおこなわれた「GUU・偶シリーズ」のうち、第3回『スネの傷をめぐる2つのソロ』(公演日:2013年8月19日)、第5回『くだをまく』(2013年10月29日)、第6回『くだをまく』(2013年11月17日)については、宮田徹也氏による公演評が「批評アーカイブ」に再録され概要を知ることができます。

速報:量産型美意識への反逆――トビハ「クラウド・チキン」(評:北里義之)

6月16日(日)東陽町.kitenで開催中の「クラウド・チキン」にて、トビハさんの『量産型美意識への反逆』を観劇。美術的なオブジェ製作と切り離すことのできないトビハさんのパフォーマンスは、ご自身の身体をまるごと美術化する行為としてあり、演劇、仮面劇、トラディショナルダンス、モダンダンス、コンテンポラリー、舞踏、ヨガ、ストリップ、美術パフォーマンスといった身体表現の要素を雑多に含みながら、しかもそのどれでもないというような不思議なありかたをしています。それはちょうど、ビョークの音楽が、世界中の音楽を次々にコンバインしていきながら、強力な声によってそれまでどんな音楽にもありえなかった要素の組合せを、声が出現するほんのひとときだけ必然的なものとしてあらしめるという感じと似ています。この晩のセッションは、大小の鏡をたくみにさばきながら踊ったり、場面ごとに衣装を脱いでいった先で、暗闇のなか、上半身裸になり、電球を仕込んだオブジェを抱えて踊るという構成に、「量産型美意識」が鏡に映る観客の問題でもあることを暗示しつつ、エネルギー体としての身体が(はるか彼方から)訪れる予感を次第に高めていくパフォーマンスだったと思います。卵パックのテーマを「消費生活」としてではなく「量産型美意識」ととらえたのがユニークでした。写真は最後の暗闇のダンスから。■

(なお、本投稿は速報であり、今後正規のレポートを受領し次第差し替えもしくは新規掲載いたします:サイト管理人)

即興演奏するダンス──木村 由「クラウド・チキン」(評: 北里義之)

即興演奏するダンス──木村 由@クラウド・チキン

北里義之(観劇日:2017年5月20日)

アートスペース.kitenの公演において、美術家の個展&パフォーマンスという形をとるのではなく、主宰者の奥野博自身がインスタレーションを構想するときは、天板のないテーブルを利用したり、買い物レシートの束を吊り下げたりと、私たちの消費生活から生み出される廃物を再利用してジャンクアートが製作される。今回の「クラウド・チキン」では、卵の透明プラスチックケースをもみくしゃにした素材が利用された。そうしたことは中古レコードや中古CD、古本となったグラビア雑誌でも可能で、それぞれに消耗品としての音楽、消耗品としての写真のありようを告発する製作行為ともなるが、奥野の場合、作品の素材は、消費生活と密着した場所にあって「買わない」という選択ができないものに限定されている。つまり、卵を買わない選択はできるが、透明ケースを買わないでいることは、よほどの主義主張がなくては可能にならないだろう。今回のインスタレーションでは、古来より尊重されてきたニワトリを工業製品化した、現代の食物産業の非人間的なありようにも触れられている。幼い頃、縁日で買い求めた原色のヒヨコが育ってしまい、毎朝の食卓に卵を供給してもらっていた経験のある私には、この生きものとの家族ぐるみの暮らしを通して、そのことの意味がよく理解できる。

 

この日のゲスト・パフォーマーとなったダンスの木村由は、インスタレーションとは別に食材として使用した卵の殻を用意、床のうえにランダムに配置して踊った。卵の殻は、ダンサーの踊りとともにグシャリと音をたてて潰されていくのだが、展示テーマにかけた趣向というだけでなく、殻を真上から潰したときの音から脇に蹴り出すような荒々しい動きをともなう音へと、潰されかたに音楽的な響きの変化をともなう流れが生み出されていたようだった。日頃から即興演奏家たちとのセッションを重ねている踊り手のセンスというべきだろう。それも闇雲に殻を潰してまわるのではなく、おおよそステージ・センターを占める卵の殻の領域に、その周辺にある踊りの領域から出入りして行為を重ねていくこところに、音楽的リズム感が生まれていた。殻を踏み潰すとき、踊り手は怒りや悲しみのような特別な感情をもつことなく、まるでそこになんの感情もないかのようにしてそれをする。それは他でもない、卵の殻が潰れる音を純粋なサウンドとして立ちあがらせるためである。多くの場合、立ったり床にすわったりするダンサーから見あげられるだけだったインスタレーションの廃物は、例外的に彼女の手で触れられ、パリパリと乾いた音を立てることもあった。卵の殻を抜け出るこのタイミングにも、絶妙の音楽センスが感じとれた。身体を精密にコントロールする運動センスを駆使して、木村由は即興演奏するダンスをしている。

 

「クラウド・チキン」の枠をはずすと、過去の.kitenパフォーマンス・シリーズに登場した踊り手たちのなかには、たとえば、会場をピノキオの物語が展開する壮大な幻想空間に変えた石和田尚子(2016年11月18日「木の人」、天板のないテーブル)、天井から吊り下るレシートの房を桜の花に見立てて踊った亞弥(2017年3月30日「レシートの森の満開の下」、無意識の断層)、歩行する身体とともに少しずつ空間を切り開いていった横滑ナナ(2017年4月2日、無意識の断層)というように、ダンサーによって、さまざまな場所へのアプローチが試みられてきた。その多くは、「見立て」によってジャンクアートに別のイメージを付与するもので、踊り手の身体は、そのようなイマジネーションを可能にするパフォーマンスを展開する。この意味でいうなら、木村由の場合、物語を用意するのでもなく、卵のパックを別のものに見立てるのでもなく、身体以前には空白状態の空間を切り開いていくのでもなく、この場所は一種の楽器としてあらわれたように思われる。卵の殻が踏みつぶされた公演の後半では、音楽の領域と動きの領域とをオーバラップするような踊りが踊られていった。このありようは現在の彼女の立ち位置そのままなのだろう。木村由の踊りは、即興演奏に触れることによって、実に雄弁にみずからを語りつくそうとする芸術になったといえる。

(2017年5月27日 記)

まるで聾演劇のように──yurina「天板のないテーブル」5日目(評:北里義之)

まるで聾演劇のように──yurina「天板のないテーブル」5日目
(観劇日:2016年11月3日)

「坂巻ルーム」「水のある光景」「生成/~なる」など、東陽町のアートスペース.kitenで、今年にはいって進められてきたインスタレーション展示とコラボレーションの組合せは、10月22日(土)から11月20日(日)にわたって開催されるパフォーマンス・シリーズ「天板のないテーブル」に継続され、10組17人の出演者が、従来通り土日休日に公演をおこなうことを基本にしながら、期間中には、今年の6月9日に他界された浜田剛爾氏の追悼公演も特別にプログラムされている。タイトルの「天板のないテーブル」は、実際にスペースが所蔵し使用してきた家具のひとつで、不揃いな脚を持った今井蒼泉作の椅子と組み合わせるなどして、すべてのパフォーマンスの共通条件にしたものだ。今回初の試みとなったのは、与えられる条件の唐突ぶりを補うため、この家具にまつわる「戯文」が書かれたことである。ある朝目覚めるとベッドのなかで毒虫になっていたというカフカの短編『変身』にちなみ、日常性のただなかに出現した不条理な存在の物語が一人称でつづられている。「戯文」は無視することもできるが、5日目の公演に登場したyurinaは、彼女なりの潤色を加えながら、「戯文」が示す物語を忠実に再構成していく一人芝居をおこなうことで、「戯文」を戯曲として扱ったといえるだろう。

音楽がなく、言葉もなく、偶然にも、この晩は周囲の生活音も響いてこないひっそりとした環境で演じられたyurinaのパフォーマンスは、日常的な身ぶりだけでなく、脚がすっとあがったり、脇や後方に気持ちよく伸ばされたりするダンス的な動きをはさんで構成されていた。主婦らしい装いをした主人公のひとりごととして演じられていくすべては、まるで聾演劇を観るようだった。朝の目覚めから、天板のないテーブルへの接近と迂回、ペットボトルと紙コップを載らないテーブルに載せようとしてくりかえされる空しい行為、部屋の隅にすわり、すでに彼女を去った恋人(あるいは夫)からの電話を待つ様子、テーブルにつく見えない相手の姿にさしのばされる両手、いとしげになでられる椅子の背中や台座、何度となく床に落下するペットボトル、それらが日ごとのくりかえしとしてつづけられていく。誰もいない、もしかするとすでに廃屋になっているのかもしれないこの場所で、どうやらすこし精神に変調をきたしはじめている主人公は、幻想の繭のなかに閉じこめられて生活している。彼女の夢が覚めることは永遠にないかのようだ。

与えられたテーマを忠実になぞりながら、yurinaはそこに人の喪失を重ねあわせ、恋人の不在を受け入れることのできない主人公を演ずることで、天板のないテーブルを彼女自身として描きだした。ある日突然、自分を「毒虫」としか感じられなくなるカフカの物語は、天板のないテーブルを介して、恋人を失った主人公の自身(の身体)に対する異物感へとつながったのである。その一方で、ダンス的な手足の動きは、チェルフィッチュのように、こうした場面設定や演技の外部からやってくるものとしてあり、主人公の意志にかかわりなく勝手に動いてしまう別の生き物のようだった。くりかえされる日常の風景は、劇的瞬間の到来による終焉を期待させた。たとえば、気持ちよく伸びていくyurinaの手足が、天板のないテーブルをまたぎ越していき、彼女を包む幻想の繭をみしみしと踏みしだいていくような、質的な場面の転換を期待していたように思う。しかし彼女の行為はドラマ性を帯びることなく、yurinaの演技は、そのようにする身体の存在を最後まで許すことはなかった。

穴だらけの空間で──南阿豆「生成/〜になる」最終日(評:北里義之)

穴だらけの空間で──南阿豆「生成/〜になる」最終日
(観劇日:2016年10月10日)

スペースを主宰する奥野博が基本のアイディアを出し、前衛華道家の今井蒼泉が制作したインスタレーションを共通の条件にして、週末ごとに多彩なゲスト・パフォーマーによる日替わり公演がおこなわれるアートスペース.kitenの企画展は、水をテーマにした夏の「水のある光景」から、木をモチーフにしたオブジェが室内を浮遊する「生成/〜になる」へと移り、制作者である今井蒼泉のパフォーマンスを皮切りに、9月上旬から多彩なゲストを迎えて開催されてきた。水槽のなかにたゆたう手強い水の物質感にくらべると、まばらに設置された枯れ枝や細竿のオブジェ群は、「水のある光景」とは対照的に、殺風景なマンションの一室に、穴だらけの空間を分節するように思われた。行為者の立ち位置によって、内側と外側がたちまちに反転していく空間の性格は、アルトーの「器官なき身体」のようなもの、言い換えるなら、縦横無尽に気の通う空間を形作っていた。上手も下手もない、天井も床もない、観客席もホリゾントもない空間に、シリーズ最終ゲストの南阿豆は、モデラートを刻むメトロノームを手にして、暗転後の暗闇に外のベランダから滑りこんできた。

ここでのダンスは物語を描き出さない。踊り手自身の身体や、いくつかのオブジェを種にして、その周囲にひとつひとつ動きを発生させていくだけである。南が持ちこんだメトロノームは、時間を刻むことを目的とするものではなく、それが最初に置かれた場所を(方向性を喪失したこの空間では「仮の」というべき)ダンスの開始点とするものだった。メトロノームから遠ざかった先で、天井から垂直にさがるスポットが彼女をとらえる。見えない誰かから左手を後方にねじあげられるようにして、あるいはまばゆい光を両手でさえぎるようにしてくりかえされる身体の上下動。さらにその場所から後退していくと、その先では、天井からさがる電球を抱きかかえたり、ほおずりをしたり、頭上高く捧げあげたりしながら、壁に映る自身の巨大な影とダンスした。そのまま電球を手放すと、胎児の姿と、海老反りをくりかえして床上を転々としてから、頭上の光に手を伸ばし、電球の真下で反り身からゆっくりと上体を引き起こす。ひとつとして同じ動きがない。そのままうつぶせになると、まるでいきどころをなくしたように床のうえを這いまわり、壁まで移動すると石のように動かなくなった。

照明が電球の赤からスポットのブルーへと移り、パフォーマンスの後半がスタートする。後半では、床と天井を弓なりに結んで設置された何本もの細い竹竿が、前半では見られなかった大きな動きを発生させる装置となった。生き物のようにしなう竹竿が、ダンサーの足もとをすくう危うさを封じこめながら、その場で踊りの形を模索する一発勝負のダンスがつづく。前後半でのダイナミックな動きの変化は、彼女の舞踏作品でしばしば採用されるスタイルを反映したものともいえるだろう。踊りの終着地点は、空間のセンターに置かれた切り株を彷彿とさせる茶色い物体の入った円筒だった。動きのスピードを落とした南が、円筒の横に座り、祈るように前屈をくりかえすなかで暗転、身体は闇のなかに沈んでいった。そこで終幕かと思われたが、そのあとふたたび暗闇を歩きまわる足音が響き、黒い影になったダンサーは窓から退場していった。

本展の開始に先立つ企画説明のなかで、主宰者の奥野は3つの生成モデルを提示している。いわく、(1)種から発芽して花が咲いて枯れていくという植物生成モデル、(2)混沌が陰陽(男女/牡牝)に分離したあと「結合」によって万物が「生まれた」とする動物生成モデル、そして(3)神がすべてを創造したという無からの生成モデル。あるいは制作行為モデル。この図式にあてはめていうなら、南阿豆の舞踏は、奥野自身が示唆している(「舞踏が日本的なのはやはり『〜なる』という表現スタイルを強く意識しているからなのかもしれません」)ように、ひとつひとつのオブジェを種にダンスを発生させたという点で、植物生成モデルと呼べるだろう。それは混沌を殺すことなく、その都度異なる開始点と終止点を仮設し、いくつもの穴を吹きすぎていく風のようなものといえるだろう。後半に訪れた大きな動きを、演劇的クライマックスと受け取ることもできるが、おそらくそれは習慣づいた観客の眼にそのように見えるだけで、踊りはひとつの穴の周辺で、オブジェを種としながら発生したに過ぎなかったのである。