.kiten スタッフ便り_171213 (川津望)

アートスペース.kitenあるじのつくよみさんとスタッフの川津ですが、ようやくスリープ状態からたちあがり、遮光カーテンを買いに行きました。これで、完璧な暗転が作れる……!

写真は踊る罪/つくよみ氏。

さらに、聴衆を釘づけにしてしまうサックスの演奏、老若男女にひらかれた企画も.kitenへたびたび届けてくれる浅原ガンジー氏の手がけたパーテーションも常備されました。
芝居、舞踏、ダンス、語り、映像、メディアアート、トークショー、オープンマイク……などなど、パフォーマーさま、お客さまも、どっと来てん、という願いを改めてこめつつ。

さて、.kitenにはマンションの一室だからこそできる表現の可能性がたくさんあります。
まず今年の夏に好評を博した公演、「みどりの群」(吉田のゆり、山田花乃両氏による)では、舞台と客席のあいだを演技者が行き来し、コップや皿を取ってくる演出がありました。 いつも交流会でつくよみさんがカレーやお肉の入ったサラダ、オーロラソースがけフレンチトーストなど作るためだけにキッチンが用意されているのではないのです。表現者の方にはぜひ演出でも積極的に使って頂けたらと思います。まだ公開情報ではありませんが、使えるようになる空間は来年、拡張される予定です。ご期待ください。

また.kitenのちかくには横十間川親水公園があります。さまざまな野鳥が観測でき、四季の歩行と重なる草花の訪れがうれしい場所です。ぜひ散歩してみてください。思わぬインスピレーションが得られるかも知れません。個人的なことですが、川津はこの公園で出会った鷺をもとに依頼された文章を書きました(※1)。

そして、.kitenのある場所はマンションの一室ですので、もちろんお風呂とシャワーもあります。24日(日)の.kiten大掃除以降、バスルームついに使用可能となります。これからはお役立てください。なお、バスルームは控室としてもお使いいただけます。

表現、また演出次第でアートスペース.kitenはどのような空間にもなります! これからお会いできる方、まずは気軽に遊びにいらしてください。ドアの開けると、ひかりよりはやくこころにおこった湧き水を照らす空間が、待っています。

(※1)いりの舎発行 うた新聞10月号「遠近画法」に川津望の小文が掲載された。

コラ神話照明係からの報告 ―「~邂逅~坂入ヤスヒロ+月読彦」雑感(川津望)

撮影:阿坐弥

8月26日(土)、アートスペース.kitenには二つの白熱する世界があった。その一方へ赤い銅の螺旋を巻きつけて太陽とする代わりに、楽器の平たいブリッジにはド、レ、ミ、ファ、と左右に27本の弦が張られていた。坂入ヤスヒロが両の親指で紡ぐ伴奏、両のひとさし指でつま弾く旋律は、今井蒼泉のインスタレーション「窓枠越しの風景」の浮かぶ空間に、典雅な音色を巡らせた。もう一方の世界には竹ひごが活けられ月は沈み、太陽の万能を砕き、その破片はどんぐりとして床に転がった。月読彦がどんぐりを月に落とす。実の落下を受けて楽器の音には新たな関節が生じ、それらははじめてリズムの束縛から放たれた。私は咄嗟に坂入にあたる照明を赤くした。ドゴン族の月経期間の女性のように舞台から離れて。金狼の姿をした不完全で無秩序な反逆者ユルグが、大地と交わる。緑の毛をまとい、植物の未来を予言するという精霊ノンモが大地に与えた衣をユルグが月経の血で染め上げる。思い出すのはその衣を手に入れれば大きな力が授けられるという逸話。本来ならば白い引き戸のそばで、坂入は真紅の時間そのものとなりキゼ・ウジに七度目の振動を齎したかに見えたのだった(編註1)。

月読彦さんが竹ひごをマルにする音、ススキの穂が風になびいているような……自分のCDの中にある曲を想起しました。交流会でインスタレーションを眺めながら坂入はうれしそうに話した。彼が演奏した楽器、コラは西アフリカが発祥のリュート型撥弦楽器。大型のヒョウタンを半分に割ったものがボディとなり、断面には牛の皮が張られる。ボディの中央には長いネックが一本通され、両脇には握り棒が二本、これがブリッジを支えるのだ。坂入のコラは彼のハンドメイド。お手製のコラのネックがS字に細かく波打っているのは、本来の楽器の弦の数を27弦に変更したことで、その弦の張力によってネックが折れないように工夫した為だ。作るのに半年はかかりますね。トラディショナルはひと月。節が変なところに入っているとすればそのネックは使えない、はじめからやり直しですね。コラに関心を抱いた観客に対してアンコールとレクチャーもまじえながら、坂入は熱心に楽器の魅力をメロディーに乗せた。マンディンカ初代の王の子孫とも言われる口承伝承の伝承者グリオと、耕作地を求め、創造神の妻としての姿を大地に取り戻すべく、縄梯子の必要な山肌でも畑仕事するドゴン族の情熱が、坂入ヤスヒロからは感じられた。

グリオ一族の歴史について少し触れる。《NE DANKO;NGA SOMANO》「自身の時代の終了を告げると共に、彼が王座にいた間、マンディンカ帝国の領域はよく統治された」……初代マンディンカ王が王座を退く際、残した言葉とされる。この言葉を受けて王の子ども達はDANKOとSOMANOと名乗るようになり、マンディンカ最初のグリオが誕生した(編註2・在マリ大使館員によるレポート。PDFファイルにリンクしている)。坂入の奏でる音には作曲者らしく管理された楽曲構造、旋法への肯定感が色濃く出ている。一方、製図化されていない、自分の中に埋まっている音楽を探したい、とも話す彼の鋭い目にはどことなく大地との交わりによって言葉を得たユルグのそれが重なる。

月読彦が壺に活けられた竹ひごを引き抜き、竹ひごで空間に散らばるあらゆる竹ひごを叩き、また壺へと戻す。舞踏家はその身体によって、まるで坂入ヤスヒロのコラ奏者としての引き裂かれた面を可視化したようだった。しかし、坂入のコラはどこまでも太陽であり、彼の音には風に乾かす蝶の翅の鮮やかさが備わっている。インスタレーションとして置かれた壺にあたって弾け飛ぶどんぐりと、コラのボディの色は母子のように似ていた。私は今回、アートスペース.kitenコラ神話照明係として、太陽と月の邂逅を見届けることができたと思う。

セネガル、ギニア等と国境を接する内陸国、マリ共和国には多くの民族、言語、社会が集まる。図書館や学校の存在が一般的となった現代のアフリカにおいても、特に西アフリカではグリオは常に重要な存在だ。結婚や、神聖な文化行事などには欠かせない職業音楽家、グリオ。スンジャタ・ケイタ王の時代にその文化が花開き、マンディンカ王国を制圧した大戦中には密使であると同時に当時の王達の助言役であるなど、王に近い存在だった彼らは今もなお畏敬の念を持たれ、コラの甘美な音を響かせながら歴史上の英雄譚、各家の系譜など人々に変わらず伝えている(編註3-13-2)。

ギニアの山地から北東に流れてマリ共和国に入り、マリ領の中部をほぼ東西に貫流するニジェール川(編註4)流域のバンディアガラの断崖において農耕を営むドゴン族。その独自の文化においてグリオとは異なる歴史を持ちながらも、彼らは彼らの神話を大切に守り、現在も生活している(編註5)。

編註:筆者・川津望氏より、坂入氏の演奏したアフリカの楽器コラとその背景を読み解くための資料として複数のサイトが提示された。それぞれ「編註」として文中よりリンクしておく。なお、コラについては以下に解説がある。

世界に関わる遅速を愛す―今井蒼泉「窓枠越しの風景」へのささやかな返歌として(川津望)

龍生派、今井蒼泉が作ったインスタレーション「窓枠越しの風景」には時間の遅速がある。根も葉もない流言がきっかけとなり交流の断たれることを避ける為、蕪村が樗良に申し送った句「二もとのむめに遅速を愛すかな」の遅速とは一見、異なるにしても、だ。伝統に基づく型を離れ、人という文字のかたちに重ねて組まれた竹ひごが「一角を磨滅して三角のうちに住む(※1)」空間。ここでいくつかの竹ひごの出会いは凧糸によってしっかりと結ばれた。パフォーマンス前日、設計図は木製のテーブルのうえ、セブンイレブン アサヒ クリアクーラーの青い缶を横に見て、床に寝転がる今井はアートスペース.kitenで瞑想していた。スピーカーからは「レッド・ツェッペリン Ⅳ」が鳴り響いた。80本あるらしい竹ひごの束が今回、今井の用いる「機の種」だ。徳島の宅急便、長いものが安く送れなくなったんですよ。よいこら、と起きあがり、ツェッペリンの「Ⅲ」でゆきましょう、アコースティックな音ではだめ、と言いながら彼は養生テープを手で裂きはじめた。はやくも今井は能でいうシテの語りを引き出す作業に取りかかったのである。

 

当日のパフォーマンス冒頭、今井は天井のフックによって揚がった「機」の端へ手をのばしながらも寸前のところで触れない、その身ぶりをくりかえした。物事が起こるきっかけに「亂」という漢字の持つ両義的な性格がぴたりとくっついている様を、彼は身体と物音で表現した。使いやすいことばはまず立たず、何も招くことはできない(※2)。「きのふの空の有り所」(※3)として揚げられた竹ひごの「貌」 は、「ひと枝、ひと茎の植物が持っている個性を捉えて活かしていく」龍生派の根底を成す文脈とたしかに呼応しながら、床で今井の足指によって一部折られ、その表情を変えた。今井は行為に成る以前の動きで人の時、つまり順行する時間をあらわしているように私には感じられた。

 

ガード付きの裸電球ってまだありますかね。あるじの月読彦に彼は悪戯っぽい表情でたずねた。インスタレーションのすき間からすき間へと踊りながら移動し、竹ひごのしなり具合を確かめ、時おり月読彦のはなしに声をあげて笑う彼は明日、本番を迎える。何か面白いはなしをして下さいよ。彼は手を動かしながら月読彦に話しかけた。そこであるじは何かを言ったようなのだが、私は覚えていない。やがて雨が降ってきた。雷の音があたりに轟いた。この天気が夜の8時まで続くらしいですね。一度天井へと吊り上げられた網目をなす竹ひごの一枚が落下し床へ叩きつけられた。彼は偶然拾った糸巻きを持ちあげ、握ったかと思うと、.kitenの壺に残りの竹ひごをいけはじめた。すすきのように自身の重さで波打つ機の穂。戸外の雷鳴はやまず今井やあるじは笑い、時に頷きあうのだが、彼らの声は私には全く聞こえなかった。屋外が静かになり、ようやくあるじに声をかけようと口を開いたのだが、なぜか名まえが出てこない。困っていると、うしろで今井蒼泉があるじの名まえを呼んだ。.kitenあるじ、月読彦は「はい」と答えた。

 

パフォーマンス前日は雷雨のせいもあってか、シテの過去へと引きずりこまれるような不思議な時間が流れていた。「世界の全てが自分の夢だったとしたら」今井蒼泉は.kitenサイトの作品ノートでそう記している。また「こもる」ということについて目を向けてみた、とも。昔、日本では贖罪の方法として「はらい(払い)」系に属するのと「こもり(籠り)」系に属するものがあった(※4)。「はらい」系の刑罰には『伊勢物語』の在原業平の東下り(※5)のように、確かな罰ではあるのだが、歌を詠み、恋までしてしまうような余白もあったのに対し、一方「こもり」は現代にも引き継がれる不自由な様相を呈している。だからこそ、今井蒼泉の「窓枠越しの風景」に見る現在には遅速があるのである。人の時間と植物の時間、ワキとシテの時間、そして「はらい」と「こもり」、梅に二木あれば、早咲きも遅咲きもある、その異なりこそいいのであって、遅速を愛す蕪村がおり、二つの時間を愛し、引き合わせる今井蒼泉がいるのである。役者の顔や面など「今は昔」として使い込まれてこそ、その構えは形づくられるように思う。今井が手がけたインスタレーションは、これから集う表現者がそれぞれ皺を刻んでゆく機会が得られるように、「六十年後の春(※6)」として若く、遊び心をもって.kitenに浮かんでいる。

 

(※1)夏目漱石『草枕』第3章より。

(※2)華道の起源は古代からのアニミズムの流れとして、植物を立てて神を招くという行為が考えられる。

(※3)与謝蕪村の句「凧巾きのふの空の有り所」より。

(※4)安田登著『異界を旅する能』(ちくま文庫)p.155~p159を参考とした。

(※5)『伊勢物語』の主人公である在原業平の「東下り」の漂泊が能『杜若』にも息づく。

(※6)永田耕衣の句「少年や六十年後の春の如し」より。

編註:なお、執筆者の川津氏より、理解の助けにと「華道」および今井氏の活動する流派である「龍生派」に関するWikipediaが提示されました。今回のインスタレーションおよびパフォーマンスの重要な背景と判断し、こちらでもご紹介いたします。

掲載写真は.kiten主宰、月読彦氏によるもの。活けられた花はインスタレーションには含まれず、ただ、ひとの気配のひとつとして氏により設置されたものです。

 

群に向かない女~『みどりの群』の鑑賞記録(川津望)

みどりにあふれた舞台。奥の白い引き戸の上部に半そでのみどりのワンピース、袖なしのワンピースがそれぞれハンガーで吊るされ、手前の木製のちいさな卓にはコップふたつ。全巻揃わないマンガや、流行作家による以前誰もが読んだ小説が無造作に積まれている。放りっぱなしの洗濯物、椅子のうえとその周辺は散らかったままだ。そして舞台向かってひだりの壁側に、幅のある長いうすみどりいろの布が天井から垂れ下がっていた。そこが主人公の寝室だ。どこにでもありそうな片づけられない女の部屋、もしくは女の頭の中。吉田のゆりは「みどりの群 際限なく生まれてくるそれはわたしを脅かす」とフライヤーに書いている。思考する時、脳内の音声は他者には聞こえない。一方、象は人間には聞こえない低周波音で会話をするという。ならば、『みどりの群』とは何なのか。

 

とある会社で働く女は、東陽町でぞうを拾って以来、部屋で共に暮らしている。女はぞうに、会社の同僚と沖縄料理屋へ行った時、同僚がソーキそばのソーキをダイエット中だということで女のそばの器に投げ込んだこと、つゆが服に飛んだこと、同僚の交際関係の自慢話にうんざりしたことなどを話した。別の日、女は納涼会で仕事のおそい後輩と一緒の際、CDプレーヤーで後輩のいつも聴いている曲が、実は「聴くとしあわせになれる」という無音の音楽であると知り、びっくりしたことなど聞かせた。実のところ、女にはこころを開いて交流できる存在はいない。どんなに仕事ができても、慕われていても『みどりの群』の女は紛れもなく孤独なのだ。

 

「みどりは? 」

はじめ喋らなかったぞうが女をそう呼び、どうしたいのか尋ねた瞬間からぞうとみどりの立場は逆転してゆく。みどりの夢に出てくるぞうは、彼女の愚痴の内容を追体験する。みどりはまるでスーパーバイザー(※1)のように現実では起らなかったぞうの創作部分を「かなちゃんはそんなにやさしくない」と伝えた。ぞうはこの夢の中の共同作業によって成長し、やがてみどりを脅かす存在へと変貌してゆく。「代わりに仕事へ行って」「気になるあのひとの気持ちを聞いてきて」みどりのお願いをきくうちにみどりよりも「みどり」らしくなってゆくぞうとは反対に、みどりの孤独は増していった。やがて「みどりと群になる」という言葉をきっかけに、ぞうはみどりの存在まで飲みこもうとする。女は、「みどり」の本質を奪ってゆくぞうに向かって散々喚きたてながらも、せめて「みどりをとらないで」と呻くしかなかった。ぞうに「みどり」と呼ばれるまで女には名まえがなかったように、「ぞう」もまた象だとはひとことも名指されていないことについて思うところがある。「ぞう」はもしかしたら「像」かもしれない。それはみどりの「像」なのか、女の「像」なのか。「マーフィーは動かなかった、人が動物のために動かないように、あるいは動物が人のために動かないように(※2)。」人と動物、そのどちらの特性も先立たせないために女はあらゆる可能性を含んで、変わらない。女の同僚の「かなちゃん」も後輩の「すどうさん」も「みどり」と同じく孤独であり、孤独の「群」の中にいながらも「群に向かない女」たちなのである。

 

ラストシーンで女はすどうさんから手紙を受け取る。「みどりちゃん、」ぞうを介して受け取ったすどうさんの手紙には、ともだちになれそうな予感と感謝、またみどりちゃんがどんなに素敵なひとだと他者から思われているか、丁寧に記されてあった。手紙に添えられたすどうさんの無音のCDをみどりちゃんが聴いているうちに、ぞうはうすみどりいろの寝室へ立ち入ることなく、引き戸の外へ出て行った。.kitenのスピーカーから音楽が流れはじめた。客席のわたしにはもちろん聴こえないが、もしかしたらすどうさんのCDの曲は人間には聞くことができない象の語らいなのかもしれない。実際に.kitenに響く音楽が客席側から聴こえてくる効果も相まって、そのように思われてならなかった。

 

ぞう役の山田花乃の自然体な役作りと無垢な踊りに好感が持てた。そして何より、吉田のゆりのぶれない演技と蛇口をひねれば出てくるような語りの面白さは、特筆すべきことだろう。

 

(※1)スーパーバイザー:監督・管理・監修を担当する人物。また監視する主体のこと。

(※2)サミュエル・ベケット著 川口喬一訳『マーフィー』(白水社) p.193から

編註:
『みどりの群』2017年8月4日および6日に上演
作:吉田のゆり
共同演出:山田花乃(踊り)、吉田のゆり
みどりの群/際限なく生まれてくる/それはわたしを脅かす

『Lonely Woman~~オーネット・コールマンに捧ぐ夕べ』に寄せて(川津望)

7月30日の日曜日、浅原ガンジーはどこか晴れ晴れとした表情で座り、サックスの歌口を爪ではじいた。この日、アートスペース.kitenで彼の吹き鳴らすアルト・サックスの音すべてに血がにじんでいた。フーゲツのJUNが上体を反らしながら唸る彼の詩、「淋しい女(LONELY WOMAN)」。JUNは声をふるわせたい時にふるわせる、歌いたいときには歌う。ピカソの愛人ドラ・マールの指と指のあいだにナイフのスピードが刻まれていたように、どこかで失って来たものを表現の魅力に変えてゆくのだ。ガンジーのアルトや持ちかえたクラリネットの音、JUNの声にはピカソが言う「深い現実」を通ってきた作ることのできない色彩が宿る。「色彩についての、唯一の抽象的イメージというものは存在しない(※1)。」空間や音、記憶、声、身体に利用されたくない、またそれらを利用したくない。だからこそ“Lonely Woman”はなにもしない。ただ泣くところから来て、泣かれるところへ行く、そのことをのぞいては。

 

客は一言も口をひらかなかった。フーテン族のいた新宿のジャズ喫茶、現在はアルタになってしまった二幸裏手のビルにあった「DIG」……東口駅前、富士銀行先の地下の店「びざーる」でかつてガンジーは働いていた(編註1)。「通っていたが、当時はガンジーと出会っていない。」.kitenの交流会でそうJUNは私に話してくれた。90年代の終わり、JUNのホームページ、そのBBSにガンジーが突如書き込んだ。「会ってみようよ。」それ以来の付き合いだと言う。今回の“Lonely Woman”も何度かガンジーとやっているんだ、JUNは人懐こい微笑を浮かべた。タイミングはオーネット・コールマンの命日、6月11日。一気に企画は持ちあがった。ただガンジーの体調が悪くなりはじめてね。JUNは自分で紙コップにビールを注ぎながらさみしそうに目を細めた。なに、本人は「生前葬」なんて言うのだけれどね。

 

「淋しい女(LONELY WOMAN)」中盤で、実験躰 ムダイの白い足が白い袋を突き破った。彼女はオーネット・コールマンへの追悼とリスペクトの気持ち、言語化できないなにかを身体表現に託した。JUNが「哭きおんな~ジョローナ」のポエトリー・リーディングへ入ると、それまで肉体の内から外へ絞りだすかのようなダンスで観客の視線を一手に引き受けていたムダイの身ぶりに変化があらわれた。「情動的に合っている」と自傷行為、職業行為、自分自身への追悼の思いは重ねられる。次第に麻痺してくる「哭き女」の行為を、ムダイは彼女独自の喪の色で染めあげたのだった。白人とは決して交わってはいけないと教えられていた先住民の女性が白人男性と恋仲になり、子どもを産む。恋人が国へ戻ることで置き去りにされた母子。子どもは白人の血を引いていることを理由に川に捨てられ殺されてしまう。そんな「泣き女(ラ・ジョローナ)」伝説だが、ムダイは同じ動きを繰りかえすことで追悼を生誕のことほぎへ裏がえしたのだ。古沢コラボレーションシリーズⅢで町田藻映子の使ったカスミソウがムダイに渡り、ときに踏まれ、赤い紐で引きずられ、弔いの花となって.kitenに咲いた。徒花は実を結ばなくとも散り際までかがやく。それが恋人の腕のなかであっても、あの頃の新宿東口駅前広場であっても、オーネット・コールマンが来日したあの日のサンケイホール、最前列の中央であってもだ。

 

公演のラストを飾った「ある愛のうた」では、鯨たちが海面に愛の絵を描く様子の目に浮かぶようなリーディングと即興。カーブド・ソプラノ・サックスの新たな波も加わって、フーゲツのJUNとガンジー、そしてこの作品にはヴォイス・パフォーマンスで参加の実験躰 ムダイは生まれてくる音をそれぞれ讃えながら荒れた夕べの海を泳ぎきった。

 

「生前葬が済んだのでこれから、大手を振って生きていける。」ガンジーが私のフェイスブックの投稿に書き込んでくれた言葉だ。彼は泣かれるところへ行くよりも、泣かせる音を紡ぐ表現者である。“Lonely Woman”の泣く理由を知っていながら、そのことについて言葉では絶対に人に告げない浅原ガンジー。ならばそのアルト・サックスでこれからも、現代のドラ・マールを「どちらかに決めるつもりはない。闘え(※2)。」以外の熱情で包みこんでもらいたい。

 

 

(※1)武満徹著『音、沈黙と測りあえるほどに』(新潮社)p.136から

(※2)パブロ・ピカソが彼のアトリエでドラ・マールとマリー・テレーズへ言い放った言葉。

(編註1)かつての新宿界隈のジャズ喫茶等々の状況についてはこの記事に詳しい。(編註2)またドラ・マールに関する記述の根拠となったのはこの記事とのこと。いずれも川津望よりの情報提供。

他者のなか鳴り響く自分の音~古沢コラボレーションシリーズを終えて~(川津望)

.kitenにおいて7月11日からの毎週火曜日、音楽家古沢健太郎と踊り手による「クラウド・チキン 古沢コラボレーションシリーズⅠ~Ⅲ」が開催された。

はじめに古沢健太郎の音楽に関して私が覚えるところを少し。アンビエント、ノイズ、ドローンそしてフィールドレコーディングなど駆使し、音の出自を限界まで消し去る作風で楽曲制作に打ち込む。古沢にとって音と音は縦や横で結びつけられた関係ではない。つまり西洋音楽的法は持たないということだ。音は音楽家にとって傷/エクリールである。一方、既に起ったもの……編集可能な過去の痕跡としての音でなく、その動きつづける状態や身ぶりを古沢はいつも担って来た。

シリーズⅠで古沢は罪/つくよみというひとつの世界と出遭った。月読彦によるインスタレーション「クラウド・チキン」が輝きまたうす闇へ沈むはじめの10分間、踊り手は椅子に座ったまま微動だにしなかった。音楽家の即興は「動かない舞踏」と対照的な空間を探ろうとしていた。音響と古沢の視線の行方を追うかぎり、彼からは内的な激しい矛盾とたたかっている印象が見受けられた。古沢の準備、調整した音がどのようにさし宛てられても、罪/つくよみの上体はやや前へ傾いたままジョン・ケージの《4’33”》の譜面上の記号のように音楽家自身をも巻き込み、空間が舞踏家の舞踏と音楽になっていた。

18日、シリーズⅡで古沢の抱えた矛盾は新しい動きをはらみ、音楽に新鮮な空気を通わせた。シリーズの自己紹介文として踊り手、栗山美ゆきが引用したテキストは谷川俊太郎の「はだか」(『はだか 谷川俊太郎詩集』より 著者:谷川俊太郎 絵:佐野洋子 p.19~p.21 筑摩書房) だ。自分以外だれもいない「るすばん(※1)」と仮定した空間で踊り手は、まるで使いはじめて間もないからだの緊張を「じめんにかじりつ(※2)」くような体躯の粘りであらわした。彼女の注射器へ溜まってゆく血に見惚れる快楽にも似た表現上の好奇心、自身の身ぶりに時としてそむく踊りの陰翳、それは古沢のふくよかな無音によって水を得た魚のような動きへと変化した。栗山の緩急ととのえられた運動の機微も手伝い「クラウド・チキン」が蛇の抜け殻にも見えてくる瞬間があった。

表現者が他の世界と出遭う時、アイデンティティを無数に持つ/どこにも持たない存在の無意味なることにこそ表現による抵抗の力は宿る。25日、シリーズⅢで、日本画家でもある町田藻映子はまず古沢のパフォーマンスがなされる卓へ花瓶などに活けたカスミソウを置いた。私は照明の切りかえによる影の変容にも注目した。月読彦が照明の光を「クラウド・チキン」から音響機材の並ぶテーブルへ移すと、舞台正面に映し出された花の影と横に伸びてゆく踊り手の身体へ観客のまなざしは集まった。「クラウド・チキン」よりも明らかに儚い町田のインスタレーションの軸となるカスミソウ。その属名“Gypsophila”(ギプソフィラ)がギリシア語の“gypsos”(石膏)と“philios”(愛する)を語源とするところや、「幸福」という花言葉にも、美術家としての町田の見立てが息づいていた。今まで他者との出遭いを音楽活動の血肉にして来た古沢。シリーズ後半、順次進行を使うことで抒情性が空間へと吹き込まれた。また肌をしろく塗った踊り手の息遣いが音楽家の旋律的な音の運びに呼応していた。ステージの中央で町田によって引きちぎられた「クラウド・キチン」の一部、それは重力の垂直な力動を思い出させた。

これまで古沢の音は、無記名の揺れとして「わたしは音ではない」とさえ主張しているように感じられた。勿論、その方向性も重要である。「一つの音が響く時ほかの音は黙る」とは古沢本人のことばだが、今回三名の踊り手との邂逅によって他者のなかで鳴り響く自分の音の存在を認識したのではないか。三つのコラボレーションで誰よりも他者の音、生きている音に耳を澄ませた古沢健太郎。恐らく現在、古沢は傷/エクリールとしての音、他者の世界では自分が世界のひとつの可能性として耳を傾けられていることも踏まえ、次の準備に取りかかっているにちがいない。

 

(※1) 谷川俊太郎 「はだか」より

(※2) 谷川俊太郎 「はだか」より

 

編者註:なお、本記事の執筆者である川津望は、8月12日に古沢健太郎とのコラボレーションが予定されている。