企画アーカイブ目次

水のトーテム(塚本よしつぐ氏委嘱企画)(2018年1月5日~1月28日)

窓枠越しの風景(2017年8月20日~10月29日)

クラウド・チキン(2017年5月4日~8月12日)

無意識の断層(2017年2月15日~4月9日)

『絵のない部屋/波打際』(塚本佳紹氏委嘱企画)(2017年1月3日~15日)

炎の予感(2016年11月23日~12月30日)

天板のないテーブル(2016年10月22日~11月20日)

生成/~になる(2016年9月10日~10月16日)

水のある光景(2016年7月2日~8月28日)

万城目純・映画大活動祭《冒険とキセキ》(2016年5月21日~6月26日)

山田裕子展 ガーリー(2016年4月17日~5月15日)

部屋と絵と行為『坂巻ルーム』(坂巻祐一氏委嘱企画)(2016年2月27日~4月10日)

水のトーテム(塚本よしつぐ氏委嘱企画)(2018年1月5日~1月28日)

1月5日 新年即興会
1月6日 宮田徹也オープニングトーク
1月8日 山岡さ希子 Sakiko 『手のひらの黒宇宙Black Cosmos on the Palms』Performance
1月12日 町田藻映子
1月13日 山田花乃
1月14日 生野毅
1月19日 秦真紀子+広沢純子
1月20日 川津望+坂本美蘭
1月21日 宮保恵+andré van rensburg
1月25日 今井蒼泉+罪/つくよみ+川津望+塚本よしつぐ
1月26日 田中奈美
1月27日 久世龍五郎+川村祐介
1月28日 田村のん

《企画コンセプト》
川の形は水底で決まり、器が水の形を作る。 『水のトーテム』と言う名称が先に 浮かび、二つの記憶が追随し、お湯が湧く音がする。 僕の行いたい美術はそんなに手の込んだことではなく、いつでもどこでも、お茶を沸かすように誰にでも出来ることでありたいのです。 美術が水を通して、存在を経過するその、あまりにささやかな、おぼろげな追憶はここでは明らかに致しませんが、追憶を通して、1月の始めから終わりまで、東陽町.kitenにて水や水以外を使った可変的なインスタレーションをさせていただきます。 この機会に是非.kitenをお見知り置きくださいませ。たくさんの方々にご出演していただきますので、ご都合宜しければ、ささやかな、然しこの根源的な出来事にあなたのからだでお立ち会いくださいませ。温かなお茶をご用意致してお待ちしております。

●インスタレーション、総合企画   塚本よしつぐ

窓枠越しの風景(2017年8月20日~10月29日)

8月20日 今井蒼泉 インスタレーション&パフォーマンス
9月2日  町田藻映子+柳静
9月9日  罪/つくよみ+栁静
9月18日 宮保惠+本田ヨシ子
9月19日 古沢健太郎+岡野愛
9月28日 友似
9月29日 山田花乃
9月30日 なごしいずみ
10月8日 田中奈美+入間川正美
10月14日 佐久間佳子+万城目純
10月22日 若尾伊佐子
10月28日 山田裕子+源一郎
10月29日 坂本美蘭

〈企画コンセプト〉

これまで、.kitenでのシリーズでは、
「水盤」そして「雨」を意識したインスタレーションを展開する機会をいただいた。

いずれも、そのマンションの一室という「場」を越えて突き抜けるものを求めてのことだったように思う。
そして、ふと。
逆のベクトルで、「こもる」ということについて目を向けてみた。

内と外。自分と社会。その間の境界線は、どこにあるのか。そもそも、境界はあるのか。
世界の全てが自分の夢だったとしたら、それは世界を自分が包摂したことになるのか、
あるいは世界という幻想の手のひらの中で、「自分」だと思っていた情報の小さなパケットが
動いているのを見つめているだけのことなのか(誰が?)

***

そしてまた。
言語があることで、概念を定着させることができる。そして言語をトークン、通貨としたコミュニケーションが可能となる。
しかし、言語によって、コミュニケーションで使いやすいトークンは限定される。
茫洋と広がる世界は、グリッドで区切られることで、小さな使いやすい単位へと切り分けられていく。
言語が備える世界のグリッドは、コミュニケーションの手がかりであり、そしてまた、茫洋たるものを囲う檻のようなものでもあるのかもしれない。

……などと寝言を書いてみる。
しかしものの表れは、ものの表れ。
動きの表れは、動きの表れ。
上で綴ったような寝言は脇に置き、その場の「機」を、いけられれば、などと。

───今井蒼泉/龍生派

クラウド・チキン(2017年5月4日~8月12日)

5月4日 新生呉羽 やましん 罪/つくよみ
5月13日 yurina 罪/つくよみ
5月20日 木村由
5月28日 浅原ガンジー 柳原たつお 田中奈美
6月4日 坂本美蘭
6月8日 山田有浩
6月10日 万城目純 ホムンクルス 広岡愛
6月17日 トビハ
6月30日 阿坐弥 カワシマヨウコ 椎名利恵子
7月1日 有代麻里絵
7月11日 古沢健太郎+罪/つくよみ
7月18日 古沢健太郎+栗山美ゆき
7月23日 尾身美苗
7月25日 古沢健太郎+町田藻映子
8月12日 古沢健太郎+川津望

〈企画コンセプト〉

古代、鶏は神とともにあった。光と真実と復活のシンボルであり、覚醒、勇気も意味していた。太陽を告げるように鳴き、王冠をいただき、また色彩豊かな姿が愛でられた。それが鶏を特別な存在、神の使いにしていったのだ。しかも恐竜の末裔でもある。幾つかの塩基配列がティラノサウルス・レックスと重複しているのだという。
現在、鶏は常時2百億羽以上存在している。それは猫と犬と豚と牛を合計しても及ばない。しかも大半が食鶏、鶏卵のためのニワトリだ。なぜ神の使いであった鶏が産業用の動物に成り果ててしまったのか。チキンが臆病者の代名詞となったのか。
鶏の原種は現在も東南アジアで生息している赤色野鶏(セキショクヤケイ)。ラテン語名は、鶏とも同じでガルス・ガルス。キジ目キジ科に分類される。非常に適応を持っている。それ故全世界に広がり、交配等により鑑賞鶏、闘鶏、食鶏等へと千変万化していった。多様化のきっかけはビクトリア女王へあるコーチン種が献上されたことにはじまる。やがてヨーロッパを熱狂の渦に巻き込み、鶏バブルが発生。新たな品種も続々と登場していった。改良技術は、アメリカにて頂点を極めた。それがブロイラーであり、卵を量産するレグホンだ。詳しくは記述しないが、その育成方法は悲惨さを極めている。なにかしら人類の今を象徴しているようでもあるというといいすぎだろうか。
今回のインスタレーションは、鶏に関係する素材を使っている。それを雲のようでもあり、竜のようにもとらえられるように形象を整えた。鶏に夢があるなら、羽ばたいてほしいという願いもこねながらだ。暁を告げる響きは聞こえるだろうか。
未来、人類が宇宙にでることがあれば、鶏はその同伴者となることも想定されているらしい。環境変化への対応能力が高いからだという。それが鶏にとって幸いかはわからない。そのときどんな姿に鶏は変貌するのか。。。

無意識の断層(2017年2月15日~4月9日)

2/15 オープニングパーティー
2/18 罪/つくよみ
3/3  深谷正子
3/4  浮世モード
3/11 田中奈美+ガンジー
3/12 南阿豆
3/20 フウゲツの純他
3/26 万城目純プロデュース
3/27 山田花乃
3/30 亜弥
4/1  榎木ふく
4/2  横滑ナナ
4/8  犬吠埼ヂル
4/9  阿久津智美
インスタレーション:月読彦
special thanks to nami tanaka

 

〈企画コンセプト〉

「無意識はひとつのランガージュとして構造化されている」というジャック・ラカンのテーゼがある。ランガージュ、つまり言語だが、ラカンがいうランガージュは他者が「私」について語った言葉たちという意味だ。噂やら自分に対しての指摘やらが「私」の無意識を構造化するってことだ。今回はこれ自体はさておき、勝手な解釈ではあるが、日々の経済活動自体も無意識構造の一断層を構成するのではないかと考えてみた。言語とは交換され、流通されるものであるならば、貨幣と商品の交換も何らかの形で無意識構造の中にある層をなして存在する。そんな仮説を立ててみた。真偽はさておき、ここから発想したのが、レシートを空間に浮遊させたインスタレーションである。そこに身体を配置、運動させる空間、隙間も用意した。無意識のアナロジーの中で身体はどんな様態をさらすのか、どんな輝きを放つのか。「私」は身体をどう操作するのか。いや無意識は「私」をどう動かしていくのか。それらはすべて幻想かもしれない。そして、ならばパフォーマーの幻想を観客はどう受けとっていくのか。。。

『絵のない部屋/波打際』(塚本佳紹氏委嘱企画)(2017年1月3日~15日)

2017年最初の企画は、塚本佳紹氏に全面的にお任せした。
哲学にも造詣が深いアーティストだ。
.kiten空間は日々変貌を遂げるらしい。
そのなかで名うてのパフォーマーたちがどんな爪痕を残すのか?
楽しみだ。

◎インスタレーション&企画
キテンという住空間の延長にある特異なギャラリースペースをご存知の方は.kitenの新たな側面を、ご存知ない方は未知なる体験として、『絵のない部屋 / 波打際』展をご高覧下さいましたら幸いです。(塚本談)

◯プロフィール

塚本佳紹(つかもとよしつぐ)
1977年東京生まれ。
2005年セツモードセミナー卒業。
平面絵画の領域から、即興映像表現へと興味は広がり、現在は「観ること」を通じて発見される美意識をテーマに作品を制作している。2010年『愛と表面張力』展、2013年『家事が美術』展、2015年『小鳥が集う』展を開催。また、神道伊勢太神楽教団にて獅子舞の興行巡礼を経験したことから、美術と宗教に造詣を深める。2017年1月に行われる展覧会『絵のない部屋 / 波打際』では、日常生活にあるものをなるべく未加工なまま、そのものの在り様から「観ること」を通じて美意識の気づきが立ち現れる現場を作りたい。


1/3-5 公開制作(入場無料)
14時~20時

★★
1/6-15ギャラリーは14時から17時頃まで無料で空いております。イベントの準備のため、入場を制限する場合がございます。ご了承ください。
各イベントは以下の通りです。
イベントチャージは2000円です。

終演後打ち上げ
参加費千円カンパ(参加は任意です)

○○○●○○○●○○○

1/6 (金)19時頃から即興イベント
(舞踏駅伝への助走)
1/7(土) 8時から20時
山岡さ希子12時間
パフォーマンス
1/8 (日)19時から
久世龍五郎 ソロダンス
1/9 (祝)19時頃
ひらのあきひろ
能登谷浩一 DUO
1/10 (火)20時から
なごしいずみ ソロダンス
1/11 (水) 20時から
夜のデッサン会
成田護を描く!
1/12 (木)20時から
木村由 蜂谷真紀 DUO
1/13 (金) 20時から
塚本佳紹+宮保恵
1/14 (土)19時から
宮田徹也 講演
『批評について』
1/15 (日)19時から
若尾伊佐子 ソロダンス

炎の予感(2016年11月23日~12月30日)

舞台装置:和田真由子

11/23 水  罪/つくよみ
11/24 木 佐野友美
11/26 土 山田花乃
11/27 日 細田麻央
12/3 土 藤田恵理子
12/4 日 村田いづ実、冨岡千幸
12/10 土 本田舞
12/11 日 北山聖子
12/17 土 榎木ふく
12/18 日 岡佐和香
12/20 火 浮世モード
12/23 金 岡野愛
12/24 土  番外編・忘年会
12/25 日 坂田有妃子
12/28 水 トビハ
12/29 木 横滑ナナ
12/30 金 総打ち上げ/セッション大会

〈企画コンセプト〉

あの日、自宅周辺は計画停電エリアに指定された。
帰宅時、蝋燭を買う。
電気の光のない夜があっても悪くないと思うことにしたのだ。マッチも買った。
ある歌を思い出したからだ。
その一節は、「マッチ擦るつかのま」ってやつだ。
炎の光が揺れ震えて、空間はざわめき、時間はとぐろを描く。

やがて静寂。

窓の向こうに海もなく霧もない。闇が広がっている。悪意がかしこに蔓延っているのかもしれない。
揺らめいている光に、邪と願いとが同時に引き寄せられていた。
いのちのことを思っていた。

天板のないテーブル(2016年10月22日~11月20日)

10/22 山田裕子
10/23 罪/つくよみ
10/30 『358(さこうや)』
11/3 yurina
11/5 激団波平
11/6 浜田剛爾追悼
11/12 田中奈美+万城目純
11/13 岡佐和香+ホムンクルス
11/18 石和田尚子
11/19 浮世モード
11/20 総打ち上げセッション大会

〈企画コンセプト〉

朝起きて部屋を通り過ぎようとしたら、何かが通せんぼしていた。奇怪なモノが部屋の真ん中にあるのだ。目を凝らすと、両端にカタカナの「エ」の形の足のようなものがあって、その「エ」の中央同士を繋ぐ横棒がある。横棒がバランスを安定させ、そのもの自体が倒れないような構造になっている。わけが分からないくせに安定し過ぎて、得体がしれない。
一歩後ずさりした。ありえないモノがあるなんてきっとまだ寝ているのだ、
目をつぶってみる。
こんなのはほんとはないのだし、そんなもを見ている私がいるなんてこともほんとはないし、こんなことを考えているなんて実は幻なのだ。と呪文を唱えて目を開ける。
目の前にある奇怪なモノは微動だにせず、在る。隣部屋に行きたい。近づくのはやめておこう。なんだか不安に駆られる。迂回だ。
いや、待て。なぜ自分の行動を奇怪なモノのために変更しなければいけないのか。癪に障る。その上をハードル走よろしく跨いでいくべきなのだ。

結局遠回りした。言っておくが、臆病とは断じて違う。勇気と癪に障る気持ちと日常の安寧の三角関係を釣り合いのとれる形にしたまでだ。
隣の部屋からグラスと炭酸水を取り出して、椅子に座る。ふと意識が中空に浮く。これからどうすればいいのだ。いつもどこにグラスやボトルを置いていたのだろう。床? ばかな、そんな筈はない。置き場所がない。昨日までを思い起こそうとするが、わからない。まったくもって忘却だ。その部分だけが空白なのだ。それぞれの手にグラスとボトルをもって何もできない。間抜けだ。
少し離れて奇怪なモノが視界に入る。グラスとボトルを持ったまま触ってみる。・・・木の肌触り。よくみると木製だ。今まで気づかなかった。。。害は及ぼさないようだ。
何に使うものなのだろうと思う。見れば見るほど、無用だ。無駄な存在だ。自分にとってここに在る意味がない。
ふと思う。そう、これはアートなのだ! 現代アートなのだ。そうでなければこんな奇怪でないわけがない。
だが、もっと待て。このグラスと炭酸水のボトルをどうすればいのだ。両手がふさがった私は炭酸水が飲みたい。呑みたいのに飲めない。
ひとりで考えていると、ここはどこなのだろと訝しくなる。そして情けなくなって、途方に暮れる。自分には家族はいないのだろうかと思う。両親の記憶が欠落している。兄弟はいたのだろうか。姉は? 妹は?

なあ~んて戯文を書いてみた。
テーブルから天板が失われる。機能は失われ、フォルムも一変する。そうしてテーブルにまつわる物語や人までもが消失していく。用途のないただのモノがある空間でどうダンス、パフォーマンスを構築していくのか。

欠如を巡る思考実験が繰り広げられてもいい。
今回も解釈は自由だ。百花繚乱の夢想が、イメージの乱舞が.kitenで繰り広げられますよう。

生成/~になる(2016年9月10日~10月16日)

9/10 土 今井蒼泉
9/11 日 りょう(万城目純プロデュース)
9/17 土 ヤマシン+罪/つくよみ
9/19 祝 玉内集子
9/23 金 山田花乃
9/25 日 北山聖子
9/29 木 トビハ
9/30 金 岡佐和香
10/1 土 村田いづみ
10/2 日 岡野愛
10/3 月 月読彦
10/7 金 ノトヤ浩一
10/8 土 田中奈美
10/9 日 淳
10/10祝 南阿豆
10/16日  総打ち上げ(インプロ大会)

〈企画コンセプト〉

ものを制作する行為に3つのモデルがあります。
それぞれ植物的生成モデル、動物の生殖モデル、そして無からの創造モデル。
植物的生成モデルは種から発芽して花が咲いて枯れていくというものです。
古事記に「葦牙の萌え騰がるが如く成る」という一節があります。これこそ「~になる」という、生成モデルです。
ちなみに古代ギリシャ人の「パンタ・レイ/万物は流転する」も近い考えに「なりましょうか」。
舞踏が日本的なのはやはり「~なる」という表現スタイルを強く意識しているからなのかもしれません。
日常に目を移すと、たとえば「今日は練習の日になります」というような言い回しをわれわれはよく遣う。
「今日は練習の日です」より多く遣われているのではないでしょうか。

今回のお題「生成/~になる」では、インスタレーションを生け花作家、今井蒼泉氏に依頼しました。
「水のある光景」では自らインスタレーションを設え、パフォーマンスをしてもらったのも記憶に新しい。
お題の解釈は自由ですが、この蒼泉氏の空間でどんなパフォーマーに「なる」のかを期待していきたい。なぜパフォーマーなのかといったメタレベルも歓迎。
想像力の百花繚乱も今回もまた期待したい。

以下のふたつは「~になる」を考えるための比較として挙げておきます。
中国には、混沌が陰陽(男女/牡牝)に分離したあと「結合」によって万物は「生まれる」という盤古神話があります。これが動物の生殖モデルです
ちなみに古事記がイザナギとイザナミの交わりによって淡路島がうまれたという記述があるのは中国思想の影響です
最後に一神教文化圏では、全ては無から神が創造したという。これぞ制作行為モデル。神を至上とするように見えて、実は一番人間的です。植物や動物はなにかを「作る」という行為をしない。人間だけが制作行為をするのですから

水のある光景(2016年7月2日~8月28日)


◎展示
鬼頭明稚(絵画)
山田裕子(モビール)
万城目純(映像)
今井蒼泉(水槽インスタレーション)

2016/07/02 土 岡佐和香
2016/07/03 日 加藤道行
2016/07/08 金 山田花乃
2016/07/09 土 今井蒼泉
2016/07/10 日 相良ゆみ
2016/07/16 土 宮保恵
2016/07/17 日 北山聖子
2016/07/18 月 まりあんぬ五反田+罪/つくよみ
2016/07/22 金 トークショー
2016/07/23 土 武智博美
2016/07/24 日 藍木二朗
2016/07/28 木 横滑ナナ
2016/07/30 土 松本清和
2016/07/31 日 松本清和
2016/08/04 木 星野ことり
2016/08/05 金 若尾伊佐子
2016/08/06 土 犬吠埼ヂル
2016/08/08 月 罪/つくよみ
2016/08/11 木 吉福敦子×来島友幸
2016/08/12 金 犬飼美也妃
2016/08/13 土 浮世モード
2016/08/14 日 榎木ふく
2016/08/15 月 yurina
2016/08/19 金 関さなえ
2016/08/20 土 金景雲
2016/08/21 日 田辺知美
2016/08/24 水 滝野原南生
2016/08/26 金 岡佐和香
2016/08/27 土 奇天烈月光団
2016/08/28 日 深谷正子

〈企画コンセプト〉
人を構成する物質の大半は水だという。
ということは水と我々とはどの程度親和性があるのだろうか。絵画展示として 鬼頭 明稚氏の水面の表層を描いた具象とも抽象ともとらえられるタブローを、
また春開催の「ガーリー」展の 山田 裕子氏にモビール制作を依頼した。

2M四方の枠を設置し、シートで枠を覆ってプールを作った。深さは10センチ。水を張る。
設計・インスタレーションは 今井 蒼泉氏。
人工的ではあるが、それでも水は、瑞々しくも水である。
力を加えなければ、静謐そのもの、いや静謐それ自体といえよう。

パフォーマーが水槽に身体を踏み入れ、動き始める。
表層はうねり、響きをうみ、光は乱反射する。水は内部で撹乱し、様々に姿を変貌させる。
水が迫る力は思いの外強くなる。響きがリズムを刻み、水は生命を持ち始めたかのように動き始める。
動きが大きくなり、水はうねる。
敷居を越え、洪水となり、水のイメージも迸る。

水は身体では制御できない。
そこに詩的イメージが溢れだすはずだ。
因果律では思考は停滞する。
ランダムにことが起こる過程に身体を浸すのだ。

水自体の夢想が目の前に現れるはずだ。