アルチュール佐藤氏公演企画、始動します!

直前の告知となってしまいましたが、先日.kitenにて非公開稽古を行なったアルチュール佐藤氏の公演企画が、2月16日より始動いたします!

見えない季節 Vol.1

公演よりも自主稽古を愛する、アルチュール佐藤がおくる、
摩訶不思議な演劇世界にようこそ。

一昨年には顎の癌により、手術を余儀なくされた役者が、
滑舌に変調を来して、だからこそ届く、欠落した身体からほとばしる、言葉を聴け!
におうがごとき、渾身の露わな姿は、われらを震撼せしめよう。

必見!

日時 2月16日 19時半開場 20時開演
出演 アルチュール佐藤
木戸銭 千円(第1回、記念価格)

終演後、懇親会
参加費 千円(参加任意)
軽食と飲み物を用意いたします。

(撮影:いずれも川津望)

 

是非見届けにご来場下さい!

非公開稽古一部公開

本日は.kitenにて、役者のアルチュール佐藤氏による非公開稽古が行われていました。非公開稽古なので本来非公開なのですが、許可をいただいたので、稽古の様子を一部公開いたします。

アルチュール佐藤氏は昨年末の月読彦生誕の宴でもインプロパフォーマンスを披露、また、今後も.kitenで公演活動を行なっていく予定です。本日の稽古はその基礎ともなるものでした。

ますます充実する.kitenにどうぞご注目を!

 

新機材が導入されました!

ミュージシャン、ヴォイスパフォーマーの方に朗報です。浅原ガンジー氏より、スペースに機材のご寄贈をいただきました。

マイク!

マイクスタンド!

アンプ!

音系パフォーマンスのさらなる充実が期待できます。また、.kitenご利用を考えておいでのアーティストの皆さまにとっても、より使いやすいスペースになってきたかと存じます。

まずは浅原氏に感謝! そしてより使いやすくなっていく.kitenにどうぞご期待ください。

「水のトーテム」1月28日 田村のん公演ご報告

(撮影:塚本よしつぐ)

1月5日のプレオープニングから3週間以上にわたって.kitenに存在してきた「水の
トーテム」とその周囲に展開した世界にも最後の日が訪れます。その日、「水のトーテム」とともに在ったのは、舞踏家・田村のん氏でした。

その日の公演の模様を企画設定者たる塚本よしつぐ氏はこう語ります。

田村のん。終わりを告げるということは、誰にでも出来ることではないのです。終わりを告げる権利を持つ舞踏家、田村のん。

誰にでも人生の最期の日は訪れるでしょう。その時に、終わりを告げる権利を持つ者に、立ち会っていただきたいのです。その人は最愛の人でないかも知れません。最愛の人は永遠の中に生き、終わりを告げることができないかも知れません。職業的宗教者は儀式ばかりに終始するも知れません。

覚えておりますでしょうか、万城目純氏がプロローグを投げて下さいました。(万城目氏は始まりを告げる権利者です。だから、生誕を繰り返えす。)

「されど、死ぬのはいつも他人」

マルセル・デュシャンの墓碑に刻印されたこの言葉が、水のトーテムの序幕だったのかも知れませんね。その通り、私たちは自分の死を見ることができません。水のトーテムは自らの死を見ることはないでしょう。

水は死なない。水脈を伝わり、海へそして、再び雨になり、森を潤し川へ河口へとその循環の中にあると信じておりました。エピローグ。最期の日に田村のんから喜びの囁きが溢れました。

田村のんは青いビニール傘をさし、ゆっくりと現れました。水のトーテムと隣り合って、傘に身を隠し、手首だけ生えたように仕草を見せました(さようなら)。
踊りが始まり5分程でそう告げるように手を振る。あるいは紫陽花と戯れるカタツムリのように。思えば、彼女がリハーサルで入念に確認した、唯一の振りでした。

終焉を告げる鐘の音。これものんさんがもたらしたカリオンでした。狭い吸音装置のような.kitenに響く鐘はどこに向けて終わりを告げたのでしょう。知らせはあなたに届いたのでしょうか。

「なかんずく、音に注意せよ。
吸音的であること、反射的であること。ピタゴラスが、天界の運動の音響(ハルモニア)を聴いたことを想起せよ。」『集落の教え100』原広司 著

私たちは、終わりの知らせを聴きました。確かに、聴きました。しかし、それは、情報ではないのです。情報ではない知らせを、なんと呼べば良いのでしょうか。ハルモニア。宇宙の調和。福音でしょうか。

やがて、堰を切ったように溢れ出す洪水。のんさんの目は赤く滲む。
映写機から花の刺繍が写し出される頃に歌が流れる。
「雨の降る日を待って
さらば涙と言おう」
確かにこの曲を選んだのは私でした。みなさんの思い浮かべる曲調と違うスローテンポのアレンジでしたから、気づかなかったかも知れませんね。青春の勲章はくじけない心だと、知った今日であるなら、さらば涙と言おう。
さらば涙は何処へ行くのだろう。水のトーテムは何処へ向かうのだろう。暫く、田村のんは映写されたレースの影に照らされて佇む。
または、足を投げ出ししゃがみ込む姿は、赤と青の混じる地点にあり、奥へと流れる。表層であり奥へ行くのは、その襞。影のレースの映写の襞のその奥の、さらば涙が伏水す。

やがて、微音から始まるフィナーレ。同時に、のんさんは鼻歌を漏らす。音楽は同調するように、喜びの鼻歌に添う。
やがてグスタフ・マーラーが編曲された荘厳な音楽気づく間も無く共に舞台からゆっくりと消える。それでも照明は仄暗く水のトーテムを照らして下さいました。そうして、水のトーテムは終わることができました。

感動を強要するようなことでなく、理解を訴求することでなく、私たちは水のトーテムにただ向かいました。しかし、私は常に心揺さぶられ、解り合い感動するとは別のところへ行くことはありませんでした。のんさんの佇むところは水のトーテムの『分水嶺』でした。ある涙は〈共〉を共にする感動と〈知〉を愛する理解へ、ある涙はそうではない別のところへ流れて行きました。

2018.1.28
.kiten
水のトーテム
田村のん
塚本よしつぐ

撮影 佐藤ユカ
塚本よしつぐ
動画撮影 宮保恵

(撮影:佐藤ユカ)

(撮影:塚本よしつぐ)

2月10日、「艶姿当世高嶺華」上演いたします!

今週末イベントのご案内です。

「艶姿当世高嶺華 遠藤栄江・田中奈美・阿坐弥」

2月10日(土) 19:00~
木戸銭 2,000円
※いつもどおり終演後に懇親会(参加費1,000円)ございます!
是非ぜひお運びくださいませ。

舞 方:遠藤栄江 田中奈美
三味線:阿坐弥ーアザミー
お囃子:浅原ガンジー
口 上:風月純史

なお、2月10日の囃子方、浅原ガンジー氏より.kitenに、本日、ベースアンプ、マイク、マイクスタンドのご寄贈をいただきました。おかげさまで一層充実したパフォーマンススペースとなりました。ありがとうございます!

 

「水のトーテム」久世龍五郎+川村祐介公演、批評アップしました!

「水のトーテム」1月27日に行なわれた久世龍五郎+川村祐介公演について、批評家の北里義之氏より文章をお寄せいただきました。

静かな空間の静かな身体──久世龍五郎×川村祐介@塚本よしつぐ「水のトーテム」(評:北里義之)

ドラマ、対話を排し、空間そのもの、音、身体そのものとしてそれぞれが存在していたーーと、静けさに徹した表現を指摘する評。これもまた「水のトーテム」の別の側面であったことをうかがわせます。

批評アーカイブに掲載いたしましたので、是非お読みください。

「水のトーテム」26日、田中奈美公演ご報告

(撮影:柴田正継)

上演企画完遂の後にこうして記事を書いていると、現場の時間とは別に「行なわれた行為、展開した情景を語り、文字にとどめる」ということの意味を改めて思います。

「水のトーテム」1月26日は田中奈美氏を迎えての公演でした。報告は空間設置者であり、このときはまた演者としても存在したという塚本よしつぐ氏。

理解の深度と感動の広域から離れて在る方法を一つの「作品」に残したいと思っておりました。同時に私たちの童心と憧憬の為に。

一か月に及ぶ、水のトーテムという連作のワンピースとして田中奈美さんとの共同作品を上演することになりました。しかし、それは同時に.kitenという児童館での試作でもありました。または、次回への布石として。

深い森への理解、広い海への感動、からの離脱。まばらな木立が囲む人里離れた小さな湖に木の葉が浮かぶ、さざ波のような作品。

赤いリボンを結わいた田中奈美さんは青い羽根を袋に詰めて現れます。幸せの青い鳥の羽根を毟り獲った天使の無邪気さ。舞台には小さな白い矩形が積んであり、大変脆いものでありますから、崩さぬよう静かに舞い降ります。

奈美さんから、チープな音楽というリクエストがあり音楽は塚本が作ったチープエレクトロニカから始まり、終わることにしました。(恥ずかしいことに僕は自分で作った曲が大好きすぎるのです。それは仕方ないことです。20代ずっとそばにいて支えてくれた音たちですから)

始まりからいくつかの事件が起こりますが、即興表現ですから、思いもよらぬ行動が作品を彩りました。
塚本の身体が舞台に関わるのは町田藻映子さん以来です。積み上げ崩れる矩形、青いトーテムを散布。または水玉を映写する。その過程で、やはり表現が小さな湖に留まらず大きな方へ想像されてしまう。小さな湖は深い森と大きな海へと流れて行きます。ここは反省すべきでありながら、しかし、大きな揺さぶりは楽しいものです。

お写真を拝見する限り、作品の美意識は奈美さんの踊りと所作にありました。踊りながら矩形やトーテムを中央に集め、波間の岸辺を作り上げる奈美さんは、言わずもがなセンスがある。これは訓練ではない持って生まれたものです。

奈美さんとは即興表現の会合でご一緒する度に思うのですが、身体言語が大変豊富です。しかし、表現に対して日常言語でのコミュニケーションは不得意ですから、色々言葉で打ち合わせしても良いものは生まれないのです。実は僕自身そういうところがあり、僕は抽象絵画が一番しっくりする言語ですから、違う表現言語同士を翻訳する「即興」表現が要となります。
ですから「作品」であり、同時に「試作」であります。再現性と順位を無化すること。ですから殊の外、感性・センスが大事です。これは経験や訓練では無いのです。

最後の最後で、僕は冬の岸辺でただ一人、彷徨う魂と漂う体をしっとりとした形而上学に見出そうとしている頃、田中奈美さんは具体的に片方の靴を探している。このユーモア。これこそ田中奈美。センスが光りました。

惜しむらくは色彩がもう少し緑へと向かうはずでした。終演後、水面は深い緑になりました。
再現でない、試作の再演が楽しみな、なんとも詩情溢れる作品でありました。

奈美さんおつかれ様でした。
また、やりましょうね!

2018.1.26 .kiten
水のトーテム
田中奈美(ダンス)
塚本よしつぐ

撮影 柴田正継

(撮影:いずれも柴田正継)

2月12日、町田藻映子+小森俊明公演ご案内

大型連続公演企画の上演を完遂した.kiten、2月も見るべきイベントが次々と展開してゆきます。まずは「水のトーテム」にても踊り手として好評を博した町田藻映子氏と音楽家・小森俊明氏のコラボレーションをご紹介。イベント紹介文は.kitenスタッフ、川津望氏です。

https://www.facebook.com/events/2043637505916134/

2018年2月12日(月・祝)
場所:アートスペース.kiten
開演:18時
料金:2千円
踊り:町田藻映子
音楽:小森俊明

プロフィール

町田藻映子

2013年3月 京都市立芸術大学 美術学部美術科日本画専攻 卒業
2015年3月 京都市立芸術大学大学院美術研究科修士課程 絵画専攻(日本画)  修了
絵画制作の主題に身体を通したアプローチを行うため、コンテンポラリーダンスをヤザキタケシに、舞踏を由良部正美に学ぶ。
また、自身の身体の内と外の境界線への洞察に重きを置き、主に即興でのソロ活動を行う。

詳細は以下のリンクをクリック↓

https://www.moekomachida.com/profile

小森俊明

作曲家、編曲家、ピアニスト。現代音楽、クラシック、異分野のアーティストとのコラボレーション、集団即興演奏、フリージャズ、合唱の各領域で活動。東京藝術大学音楽学部作曲科を経て同大学院音楽研究科修士課程作曲専攻修了。これまでに作曲および音楽理論を國越健司、松下功、野田暉行、小鍛冶邦隆の各氏に、ピアノを三谷亜佐美、阪倉良百、市田儀一郎、遠藤恵眞子、岡野壽子の各氏にそれぞれ師事。また、陶芸を鴨下知美、茶道を故・境和子の各氏に師事。

詳細は以下のリンクをクリック↓

https://komoritoshiaki.com/profile

美術家/ダンサーの町田藻映子氏は、アートスペース.kitenのシリーズ「クラウド・チキン」(インスタレーション:奥野博氏)、「窓枠越しの風景」(インスタレーション:今井蒼泉氏)、「水のトーテム」(企画/総合プロデュース:塚本よしつぐ氏)にも出演され、インプロ大会などにも積極的に参加されています。美術家ならではの知的でフレキシブルな空間表現が期待されます。
作曲家/ピアニスト/文筆家である小森俊明氏は、作曲家として国内外で作品を発表されながら文筆活動、音楽のためのひらかれたレッスンや、ピアニストとしてさまざまの場で類い稀な音楽表現の力を発揮されています。昨年の川津望企画即興オペラ「メゾンit」、ゲストとしての参加ながら、ミーティングでは初期の段階からたくさんのアドバイスや心のこもった意見など、出してくださいました。確固たる知性に裏打ちされた技法と言葉と親密な方法論、思考と言動に一貫した連動性を持たれ、即興では遊び心も大いに含ませたアプローチで観客を常に虜にしてきました。

ふたりの表現の出会いは必然性をもはらむでしょう。当日はぜひ.kitenへおでかけください。

「水のトーテム」上演プログラム完遂いたしました

1月5日から3週間以上にわたって空間とインスタレーションと行為の関わりの中からさまざまな様相を生み出し続けてきた「水のトーテム」。1月28日の田村のん公演をもちまして、すべての上演プログラムを完遂いたしました。

しかし、企画はまだ続きます。発信されたものがいかに受け止められたかの記録とご報告はまだこれから。月が満ち潮が満ちるように公開されてゆきますので、どうぞお楽しみにお待ちください。

また、それとクロスオーバーするように新たな企画、新たな時間もまた展開してゆきます。そちらもどうぞお楽しみに!

「水のトーテム」 21日 宮保恵+andré van rensburg公演ご報告

(撮影:大杉謙治)

過剰、のあとの、静謐。潮の満ち干、波の呼吸のように。
21日、「水のトーテム」は宮保恵氏、そしてAndré van Rensburg氏を迎えて、また新たな表情を展開しました。この日の報告は塚本よしつぐ氏。

宮保恵
アンドレ・バン・レンズバーグ

水のトーテムの公演をほぼ全部観賞している宮保恵にとって、今回の公演は踊りに徹して行こうという決意があったことでしょう。

何しろ、前日の川津望、坂本美蘭のDUOほどに破壊と創造をし尽くすことよりも、自分の踊りに徹して行く方が彼女のやり方ならば「水のトーテム」に深く関われるに違いないでしょうから。アンドレもギターに集中するでしょうし、塚本の映写もそのような思惑がありました。先ず映写に徹したいのだ、と。

「赤い」トーテムの仄かな
光、8mm映写機の上映から始まり、映し出される夜景、浄化されたしじまに響くアンドレのギター、ゆっくりと歩み出る宮保、その始まりからすでに足先は床を純度の高いダンスでならしていく、

床から闇、または
壁から光へと交差して行く身体、アンドレの包み込む音の粒と8mm映写機の音障は空間を隈なく満たして行く、宮保の衣装は薄赤紫のペイズリーを照らす仄かな赤のトーテム越しの光、光の凝縮した闇を解きほぐすように舞う、

衣装の襞が
壁に張り付いた光を浮き彫りにする、投影された具象、月、街灯、高架橋から俯瞰する赤い川、淡い焦点が網膜と被写体の間に水面を作る、アンドレのギターの音の隙間に、時折、映写機の磁石に反応する微細な周波音、

滞りなく進む
8mmフィルムは正転反転を幾度か繰り返し、24齣と18齣を行き来する際、音の違いが宮保の動きとアンドレの和音に作用する、開け放った小窓程の映写から、100号の水彩絵画へと光は広がる頃、宮保も薄赤紫の水飛沫をするりと放つ、

水彩絵画は
20世紀絵画の影響を色濃く壁に映すが、眼底に焼きつく前に横滑りする、既視感は初めて観ることの証左である、既に観たものは一瞬たりとも無く、常に光は闇へ伝播し、同時に闇は光へ収斂する、光と闇は表裏でなく抗うことなく共する、

軽やかさを
保つ水溶性は漂白されたが少し残滓する風景写真に重なり映し出され、身体、音ともに像が何度となく溶ける合う、塚本からの水飛沫の映写、雨、川面、水溜り、青から赤への浸食、宮保の肌に触れる磨かれた床とみずうみの影、

宮保が床を叩く
硬質な音は目で追うことのないアンドレの耳を手繰り寄せる、宮保の濡れた髪、アンドレの指先、塚本の滲む色彩、揺らぎ

やがて宮保の
ダンスが水のトーテムそのものとなり、そもそも水であり、トーテムであるとは一体何なのか、答える間も無く、滞ることなく、淀まず、来るものを拒まず受け流す、床は磨かれ、それでも尚、水のトーテム前半の様々な詩的行為の水脈を、そのアウラを纏い、未だ観ぬ水のトーテム後半のアウラの海を呼び起こしつなげて行く、

水のトーテムを
最も象徴した細部の美しい作品でありました。完成度、抽象度、そして鑑賞の満足度も高くありました。

ですから、お写真をご覧いただける限り、あまりにも美しくありました。ただ一点思うのは、一杯の水を分け合い飲むとしても、3人の喉は、観る方の喉は違うのだ、やや少し、3人はそれぞれの乾きに集中しすぎたかもしれない、と。

あなたの喉は潤ったのか?
あなたの喉ごしに、私が潤うことは無く、私の喉ごしに、あなたが潤うことは無いのだ、と。

ですから、大地に口づけをしなさい。

1/21 宮保恵 アンドレ・バン・レンズバーグ
写真 大杉謙治
水のトーテム 塚本よしつぐ

(撮影:いずれも大杉謙治)