「水のトーテム」1月28日 田村のん公演ご報告

(撮影:塚本よしつぐ)

1月5日のプレオープニングから3週間以上にわたって.kitenに存在してきた「水の
トーテム」とその周囲に展開した世界にも最後の日が訪れます。その日、「水のトーテム」とともに在ったのは、舞踏家・田村のん氏でした。

その日の公演の模様を企画設定者たる塚本よしつぐ氏はこう語ります。

田村のん。終わりを告げるということは、誰にでも出来ることではないのです。終わりを告げる権利を持つ舞踏家、田村のん。

誰にでも人生の最期の日は訪れるでしょう。その時に、終わりを告げる権利を持つ者に、立ち会っていただきたいのです。その人は最愛の人でないかも知れません。最愛の人は永遠の中に生き、終わりを告げることができないかも知れません。職業的宗教者は儀式ばかりに終始するも知れません。

覚えておりますでしょうか、万城目純氏がプロローグを投げて下さいました。(万城目氏は始まりを告げる権利者です。だから、生誕を繰り返えす。)

「されど、死ぬのはいつも他人」

マルセル・デュシャンの墓碑に刻印されたこの言葉が、水のトーテムの序幕だったのかも知れませんね。その通り、私たちは自分の死を見ることができません。水のトーテムは自らの死を見ることはないでしょう。

水は死なない。水脈を伝わり、海へそして、再び雨になり、森を潤し川へ河口へとその循環の中にあると信じておりました。エピローグ。最期の日に田村のんから喜びの囁きが溢れました。

田村のんは青いビニール傘をさし、ゆっくりと現れました。水のトーテムと隣り合って、傘に身を隠し、手首だけ生えたように仕草を見せました(さようなら)。
踊りが始まり5分程でそう告げるように手を振る。あるいは紫陽花と戯れるカタツムリのように。思えば、彼女がリハーサルで入念に確認した、唯一の振りでした。

終焉を告げる鐘の音。これものんさんがもたらしたカリオンでした。狭い吸音装置のような.kitenに響く鐘はどこに向けて終わりを告げたのでしょう。知らせはあなたに届いたのでしょうか。

「なかんずく、音に注意せよ。
吸音的であること、反射的であること。ピタゴラスが、天界の運動の音響(ハルモニア)を聴いたことを想起せよ。」『集落の教え100』原広司 著

私たちは、終わりの知らせを聴きました。確かに、聴きました。しかし、それは、情報ではないのです。情報ではない知らせを、なんと呼べば良いのでしょうか。ハルモニア。宇宙の調和。福音でしょうか。

やがて、堰を切ったように溢れ出す洪水。のんさんの目は赤く滲む。
映写機から花の刺繍が写し出される頃に歌が流れる。
「雨の降る日を待って
さらば涙と言おう」
確かにこの曲を選んだのは私でした。みなさんの思い浮かべる曲調と違うスローテンポのアレンジでしたから、気づかなかったかも知れませんね。青春の勲章はくじけない心だと、知った今日であるなら、さらば涙と言おう。
さらば涙は何処へ行くのだろう。水のトーテムは何処へ向かうのだろう。暫く、田村のんは映写されたレースの影に照らされて佇む。
または、足を投げ出ししゃがみ込む姿は、赤と青の混じる地点にあり、奥へと流れる。表層であり奥へ行くのは、その襞。影のレースの映写の襞のその奥の、さらば涙が伏水す。

やがて、微音から始まるフィナーレ。同時に、のんさんは鼻歌を漏らす。音楽は同調するように、喜びの鼻歌に添う。
やがてグスタフ・マーラーが編曲された荘厳な音楽気づく間も無く共に舞台からゆっくりと消える。それでも照明は仄暗く水のトーテムを照らして下さいました。そうして、水のトーテムは終わることができました。

感動を強要するようなことでなく、理解を訴求することでなく、私たちは水のトーテムにただ向かいました。しかし、私は常に心揺さぶられ、解り合い感動するとは別のところへ行くことはありませんでした。のんさんの佇むところは水のトーテムの『分水嶺』でした。ある涙は〈共〉を共にする感動と〈知〉を愛する理解へ、ある涙はそうではない別のところへ流れて行きました。

2018.1.28
.kiten
水のトーテム
田村のん
塚本よしつぐ

撮影 佐藤ユカ
塚本よしつぐ
動画撮影 宮保恵

(撮影:佐藤ユカ)

(撮影:塚本よしつぐ)

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