天板のないテーブル(2016年10月22日~11月20日)

10/22 山田裕子
10/23 罪/つくよみ
10/30 『358(さこうや)』
11/3 yurina
11/5 激団波平
11/6 浜田剛爾追悼
11/12 田中奈美+万城目純
11/13 岡佐和香+ホムンクルス
11/18 石和田尚子
11/19 浮世モード
11/20 総打ち上げセッション大会

〈企画コンセプト〉

朝起きて部屋を通り過ぎようとしたら、何かが通せんぼしていた。奇怪なモノが部屋の真ん中にあるのだ。目を凝らすと、両端にカタカナの「エ」の形の足のようなものがあって、その「エ」の中央同士を繋ぐ横棒がある。横棒がバランスを安定させ、そのもの自体が倒れないような構造になっている。わけが分からないくせに安定し過ぎて、得体がしれない。
一歩後ずさりした。ありえないモノがあるなんてきっとまだ寝ているのだ、
目をつぶってみる。
こんなのはほんとはないのだし、そんなもを見ている私がいるなんてこともほんとはないし、こんなことを考えているなんて実は幻なのだ。と呪文を唱えて目を開ける。
目の前にある奇怪なモノは微動だにせず、在る。隣部屋に行きたい。近づくのはやめておこう。なんだか不安に駆られる。迂回だ。
いや、待て。なぜ自分の行動を奇怪なモノのために変更しなければいけないのか。癪に障る。その上をハードル走よろしく跨いでいくべきなのだ。

結局遠回りした。言っておくが、臆病とは断じて違う。勇気と癪に障る気持ちと日常の安寧の三角関係を釣り合いのとれる形にしたまでだ。
隣の部屋からグラスと炭酸水を取り出して、椅子に座る。ふと意識が中空に浮く。これからどうすればいいのだ。いつもどこにグラスやボトルを置いていたのだろう。床? ばかな、そんな筈はない。置き場所がない。昨日までを思い起こそうとするが、わからない。まったくもって忘却だ。その部分だけが空白なのだ。それぞれの手にグラスとボトルをもって何もできない。間抜けだ。
少し離れて奇怪なモノが視界に入る。グラスとボトルを持ったまま触ってみる。・・・木の肌触り。よくみると木製だ。今まで気づかなかった。。。害は及ぼさないようだ。
何に使うものなのだろうと思う。見れば見るほど、無用だ。無駄な存在だ。自分にとってここに在る意味がない。
ふと思う。そう、これはアートなのだ! 現代アートなのだ。そうでなければこんな奇怪でないわけがない。
だが、もっと待て。このグラスと炭酸水のボトルをどうすればいのだ。両手がふさがった私は炭酸水が飲みたい。呑みたいのに飲めない。
ひとりで考えていると、ここはどこなのだろと訝しくなる。そして情けなくなって、途方に暮れる。自分には家族はいないのだろうかと思う。両親の記憶が欠落している。兄弟はいたのだろうか。姉は? 妹は?

なあ~んて戯文を書いてみた。
テーブルから天板が失われる。機能は失われ、フォルムも一変する。そうしてテーブルにまつわる物語や人までもが消失していく。用途のないただのモノがある空間でどうダンス、パフォーマンスを構築していくのか。

欠如を巡る思考実験が繰り広げられてもいい。
今回も解釈は自由だ。百花繚乱の夢想が、イメージの乱舞が.kitenで繰り広げられますよう。

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