山田裕子展 ガーリー(2016年4月17日~5月15日)

4/17 岡佐和香(オープニング公演)
その後オープニングパーティ
4/23 鼎談(座談会)
4/24 KYOUSUKE・滝野原南生・山田裕子
4/29 坂本美蘭
4/30 田辺知美
5/1  二川めぐみ
5/2  犬吠崎ヂル
5/3  武智圭佑
5/4  秦真紀子&江藤みどり
5/5  座談会
5/6  セッション大会(小森俊明、チャーリー加藤、
坂田洋一、万城目純、山田裕子)
5/7  久世龍五郎
5/8  笠原弓香
5/13 罪/つくよみ(20時開演。開場は30分前)
5/14 清水友美
5/15 永野沙紀

〈企画コンセプト〉

20世紀、日本の少女イメージは大きく変貌した。日本画や中原淳一の清楚な少女像から、漫画を震源地として、独特の進化を遂げていった。魔法使いサリーやリボンの騎士、吾妻ひでおの少女キャラクター、ラムちゃん等無数の少女像が量産されていった。20世紀末から21世紀にはいると会田誠のようなグロテスクなイメージやセーラムーンに代表されるような戦う美少女が誕生した。その変貌のエンジンはどこにあったのか。それは言わずと知れたカワイイという感覚にある。このカワイイ、意味論的には平安時代の「うつくし」まで遡れるという。今のカワイイと同じ意味で遣われていた。枕草子では、小さいもの、未熟なものを愛でる形容詞として遣われていた。(*1)
20世紀後半になり萌えやらグロカワやらキショカワやらキモカワなる派生語が生まれた。その母体は漫画、アニメを支持したオタクの感性だ。エロという観点で多様性にドライブをかけたともいえようか。そしてその感覚はサブカルからいわゆるファインアートにも影響を与えていき、メディアミックス的にイメージは多様化し、国際的にも波及していった。
さて最初に裕子さんにあったのは、4年前ダンスの相手を探している時だった。万城目純氏の企画で二人で踊らなければはらず、誰と踊ろうか、相手が見つからなかった時だ。万城目氏から「裕子さんってのがいるだけど、いんじゃない?」のひとことで決った。舞台はD-倉庫だった。なれないリフトなんかした作品になった。それから何度かダンスの場を一緒してきた。気づくと彼女の本業というか一番の専門の絵画を見ていなかった。イラストのような絵を描く作家だと勝手に思っていた。初めて実物に接したのは昨年だった。実際はみなさんにも是非見ていただきたいのだが、重層的な画面構造のある、不思議な魅力を放つ作品なのだ。描かれるのは一人の少女。画家本人を思わせる、美少女で、足が内向きでオタク好みな存在に一見仕上げられている。オタクの好みに媚びていそうで、豈図らんや見つめているとするっとすり抜けていくような感覚をもった。
説明は不要だ。直に見て、感じていただきたい。 今回もパフォーマとのコラボレーションを企図した。特に男性パフォーマーはなにをしてくれるのだろう。土方巽は映画『夏の嵐』であの風貌そのままで赤い着物で女装?して「少女」を踊った。
ガーリーな日々を楽しんでください。日本のカワイイ文化の可能性。あやうさ、あぶなさも感じ取っていただきたい。(奥野博)

(*1)今でいうカワイイに相当する言葉「うつくし」から「かわゆらし」(カワイイの直接的語源。最初は痛ましく見るに忍びないの意味のみ)に変わっていったのは中世末期。そして今に至る。

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