武智博美「水のある光景」(評:北里義之)

7月2日(土)から8月28日(土)までの期間、東陽町.kitenで開かれているインスタレーション展「水のある光景」の会場で、土日を基本に、今井蒼泉さんが設計された2m四方の水槽を使い、水にちなんだパフォーマンスがリレー開催されています。7月23日(土)の第10回は舞踏の武智博美さんによる『水の胃袋』、エレクトロニクス演奏の武智圭佑さん(maguna-tech)や、この晩は即興ヴォイスをされたシンガー小平智恵さんとの共演でした。浅く水を張った水槽の正面、右端に置かれた丸椅子に、すでに開場時から背中向きで腰かけた博美さんは、わずかに上半身を傾けるなどしながら、水槽をとりまく観客の、そこだけ誰もいない上手奥のコーナーを見つめていました。白いブラウスにピンクのスカート、紺の靴下といういでたちをした踊り手の頭部は、目だけを残して包帯でぐるぐる巻きにされ、長い髪が包帯の下からはみ出ています。観客たちの会話がさざめき、BGMで賑やかなポピュラー音楽が流れるなか、湖畔の人岩のようになり、じっとエネルギーを溜めつづける様子。開演時間がきて暗転、上手床からくる照明を身体に受け、時計回りでゆっくりと背後を振り向く動きはじめが、すでに最初のクライマックスでした。

【武智博美『水の胃袋』@東陽町.kiten「水のある光景」】承前。「水のある光景」におけるパフォーマンスの存在は、身体表現というよりも、身体が関わることで水がどのような物質に(イメージ)転換していくかというところにポイントがあるようです。バシュラールの物質的想像力をヒントにした発想で、まさに身体を飲みこむ「水の胃袋」のようなもの。博美さんの舞踏では、開場時に彼女が見つめていた上手コーナーで包帯をほどき、スポットライトが水面を沼のように浮きあがらせるなか、正座して水面に身を乗り出し、片手で水に触れ、両手で水をすくいとりしながらおこなわれた水という物質への侵入/交感が決定的な転換点をなしました。しかしそれ以上にイマジナリーだったのは、水槽のなかでしだいに動きを少なくしていった身体がやがて静止し、天井を仰いでまっすぐに伸ばした手足のかすかな動きが、水に浮く女性の肢体を出現させた最後のクライマックスでした。といいますのも、水のなかの彼女の姿が、オフィーリア・コンプレックスと結びつく死のイメージを掻き立てたからです。溺死した乙女。頭部をぐるぐる巻きにした包帯が喚起する外傷性=悲劇性、薄暮のなかで青に染まり、永遠のやすらぎへと手招きする静かな水面などがイメージ連鎖して、一挙に意味を帯びはじめる幕切れだったと思います。

   

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