9月23日、土曜読書会の前に

毎月1回土曜日午前から開始される読書会、9月もブルーノ・シュルツを取り上げます。
.kitenスタッフ、川津氏によるCMをまずどうぞ。
そして当日朝はぜひ.kitenまでいらしてください。

9月23日土曜日、朝11時より。参加費2000円、お茶菓子つき。

 

9月6日、海外からの演者を迎えるシリーズ第3弾!

9月6日水曜日19時半開演、「やって来たシリーズvol.3」として、ロシア在住キューバ人パフォーマーを韓国から迎えての公演です!

https://www.facebook.com/events/203821896820550/

●出演
ギジェルモ ルイス オルタ / Guillermo Luis Horta Betancourt
https://www.facebook.com/guillermoluish
鶴山欣也 / Kinya “zulu” Tsuruyama
Asuka J
罪/つくよみ / tsumi/tsyukuyomi

●音楽
スコット・ジョーダン / Scott Jordan
ヒラシマ サトル/Satoru Hirashima
MORIO
Yamaguchi Shuhey
平田祐一/Yuichi Hirata

南国パワーと白塗り、多国文化が坩堝の中で。
さてさていかがなりますやら?

是非ぜひお越しくださいませ!

世界に関わる遅速を愛す―今井蒼泉「窓枠越しの風景」へのささやかな返歌として(川津望)

龍生派、今井蒼泉が作ったインスタレーション「窓枠越しの風景」には時間の遅速がある。根も葉もない流言がきっかけとなり交流の断たれることを避ける為、蕪村が樗良に申し送った句「二もとのむめに遅速を愛すかな」の遅速とは一見、異なるにしても、だ。伝統に基づく型を離れ、人という文字のかたちに重ねて組まれた竹ひごが「一角を磨滅して三角のうちに住む(※1)」空間。ここでいくつかの竹ひごの出会いは凧糸によってしっかりと結ばれた。パフォーマンス前日、設計図は木製のテーブルのうえ、セブンイレブン アサヒ クリアクーラーの青い缶を横に見て、床に寝転がる今井はアートスペース.kitenで瞑想していた。スピーカーからは「レッド・ツェッペリン Ⅳ」が鳴り響いた。80本あるらしい竹ひごの束が今回、今井の用いる「機の種」だ。徳島の宅急便、長いものが安く送れなくなったんですよ。よいこら、と起きあがり、ツェッペリンの「Ⅲ」でゆきましょう、アコースティックな音ではだめ、と言いながら彼は養生テープを手で裂きはじめた。はやくも今井は能でいうシテの語りを引き出す作業に取りかかったのである。

 

当日のパフォーマンス冒頭、今井は天井のフックによって揚がった「機」の端へ手をのばしながらも寸前のところで触れない、その身ぶりをくりかえした。物事が起こるきっかけに「亂」という漢字の持つ両義的な性格がぴたりとくっついている様を、彼は身体と物音で表現した。使いやすいことばはまず立たず、何も招くことはできない(※2)。「きのふの空の有り所」(※3)として揚げられた竹ひごの「貌」 は、「ひと枝、ひと茎の植物が持っている個性を捉えて活かしていく」龍生派の根底を成す文脈とたしかに呼応しながら、床で今井の足指によって一部折られ、その表情を変えた。今井は行為に成る以前の動きで人の時、つまり順行する時間をあらわしているように私には感じられた。

 

ガード付きの裸電球ってまだありますかね。あるじの月読彦に彼は悪戯っぽい表情でたずねた。インスタレーションのすき間からすき間へと踊りながら移動し、竹ひごのしなり具合を確かめ、時おり月読彦のはなしに声をあげて笑う彼は明日、本番を迎える。何か面白いはなしをして下さいよ。彼は手を動かしながら月読彦に話しかけた。そこであるじは何かを言ったようなのだが、私は覚えていない。やがて雨が降ってきた。雷の音があたりに轟いた。この天気が夜の8時まで続くらしいですね。一度天井へと吊り上げられた網目をなす竹ひごの一枚が落下し床へ叩きつけられた。彼は偶然拾った糸巻きを持ちあげ、握ったかと思うと、.kitenの壺に残りの竹ひごをいけはじめた。すすきのように自身の重さで波打つ機の穂。戸外の雷鳴はやまず今井やあるじは笑い、時に頷きあうのだが、彼らの声は私には全く聞こえなかった。屋外が静かになり、ようやくあるじに声をかけようと口を開いたのだが、なぜか名まえが出てこない。困っていると、うしろで今井蒼泉があるじの名まえを呼んだ。.kitenあるじ、月読彦は「はい」と答えた。

 

パフォーマンス前日は雷雨のせいもあってか、シテの過去へと引きずりこまれるような不思議な時間が流れていた。「世界の全てが自分の夢だったとしたら」今井蒼泉は.kitenサイトの作品ノートでそう記している。また「こもる」ということについて目を向けてみた、とも。昔、日本では贖罪の方法として「はらい(払い)」系に属するのと「こもり(籠り)」系に属するものがあった(※4)。「はらい」系の刑罰には『伊勢物語』の在原業平の東下り(※5)のように、確かな罰ではあるのだが、歌を詠み、恋までしてしまうような余白もあったのに対し、一方「こもり」は現代にも引き継がれる不自由な様相を呈している。だからこそ、今井蒼泉の「窓枠越しの風景」に見る現在には遅速があるのである。人の時間と植物の時間、ワキとシテの時間、そして「はらい」と「こもり」、梅に二木あれば、早咲きも遅咲きもある、その異なりこそいいのであって、遅速を愛す蕪村がおり、二つの時間を愛し、引き合わせる今井蒼泉がいるのである。役者の顔や面など「今は昔」として使い込まれてこそ、その構えは形づくられるように思う。今井が手がけたインスタレーションは、これから集う表現者がそれぞれ皺を刻んでゆく機会が得られるように、「六十年後の春(※6)」として若く、遊び心をもって.kitenに浮かんでいる。

 

(※1)夏目漱石『草枕』第3章より。

(※2)華道の起源は古代からのアニミズムの流れとして、植物を立てて神を招くという行為が考えられる。

(※3)与謝蕪村の句「凧巾きのふの空の有り所」より。

(※4)安田登著『異界を旅する能』(ちくま文庫)p.155~p159を参考とした。

(※5)『伊勢物語』の主人公である在原業平の「東下り」の漂泊が能『杜若』にも息づく。

(※6)永田耕衣の句「少年や六十年後の春の如し」より。

編註:なお、執筆者の川津氏より、理解の助けにと「華道」および今井氏の活動する流派である「龍生派」に関するWikipediaが提示されました。今回のインスタレーションおよびパフォーマンスの重要な背景と判断し、こちらでもご紹介いたします。

掲載写真は.kiten主宰、月読彦氏によるもの。活けられた花はインスタレーションには含まれず、ただ、ひとの気配のひとつとして氏により設置されたものです。

 

8月27日企画、出演者募集中です。

8月27日企画「解題朗読・震洋爆裂」につきまして、主催の川崎氏より出演者の募集が告知されています。

終戦の翌日に謎の命令によって出撃準備中、爆発事故にて111名の死者を出した第128震洋攻撃隊の死者と事故を解題朗読する。

読み上げる111名の墓碑銘と合わせていただく表現者(踊手・役者・音楽家・美術家・詩人等)募集中です。

くわしくはこちら

 

8月26日はコラと舞踏の上演

8月26日(土) 19:00~ コラ演奏家の坂入ヤスヒロを迎え、.kitenあるじの舞踏とのコラボレーションを上演いたします。

~邂逅~坂入ヤスヒロ+月読彦~

~ 邂逅 ~ 坂入ヤスヒロ+月読彦
2017.8.26 19h start  in .kiten

出演:坂入ヤスヒロ(コラ演奏)・月読彦(舞踏)

ここに、「いかに自分は『万能ではない』か?」「『個』の限界って何?」なんて思春期めいたことをつらつら考えてる男がいます。
だいぶ周回遅れの様相が濃く、「どのみち、私は音楽や何らかの自己表現から逃れることができない人間なんです」なんてのたまうことも。

・・・いやいやいやいや、違うんです。
私は単純に「やめられない」だけなんです、演奏することが。

違うだろう?
そもそも「やめる」とか「音を出さない」なんて思ったことがあるのか?
他者から散々投げつけられてきた言葉を自分の言葉と勘違いしていないか?

・・・そうでした。
いったい誰に気兼ねしているのか?
格好つけた言葉はいらない。
格好つけた態度もいらない。

服を脱ぎ去るがごとく、己に張り付いた無数の「格好」を取り払った先で、何が聴こえるのか?
何が見えるのか?
そして、どういう音を奏でるのか。

そんなやりとりから生まれたこの企画、.kiten当主の月読彦氏とコラ弾き坂入ヤスヒロの二人舞台。
皆様どうぞおつきあいください。

日時 2017年8月26日(土) 開場18:30 開演19:00
木戸銭 2000円

終演後交流会あり(参加任意)参加費千円

■ 坂入ヤスヒロ・YASUHIRO SAKAIRI ■
ドラマー・パーカッショニスト・コラ奏者。
偶然耳にしたDiaraby(jarabi)という曲を契機に西アフリカ音楽に傾倒し、西アフリカのハープ「コラ」を弾きたいあまりに楽器を自作、奏法を独習。
西アフリカの伝統曲を演奏するコラ・アンサンブルDjeli ya kan、オリジナル曲中心のアコーディオンとコラのデュオaccora等での活動を経て、現在、ブルースバンド等でのドラム演奏、コラのソロ演奏もしくは様々な演奏者とのデュオ演奏など、さまざまな形態で演奏活動を展開中
2015年、オリジナル5曲入りミニアルバム「涼季」を発表。

■ 月読彦 Tsukuyomihiko ■
.kitenあるじ。奇天烈月光団、浮世モードなんぞを率いて、物語性のある作品を作っている。罪/つくよみ というダンス名義もある。2017年、それまで躊躇してきたソロパフォーマンス開始。「踏交興在」というチーム作りを密かに温めている。最近はインスタレーションにも開眼。

70年代後半セックスピストルズと曲馬館に衝撃を受け、山海塾の金柑少年の初演頃を目撃。80年代初頭はパンクな日々。ボアダムズの山塚アイなんぞと遊んでいた。バックステージの活動をメインにしていたが、桃山邑に騙され!石間無為王、アッスン・rなんぞというクレジットで水族館劇場参加。あるとき不意に踊りに傾注し退団。長谷川六の薫陶を受ける。最近は演劇活動も再開しつつある。

今回は坂入さんの指名をうけ、踊る。よろしくお願いいたします!

「クラウド・チキン」シリーズからのバトンとして

新着情報のほうでは少しアナウンスが遅れましたが、「クラウド・チキン」シリーズ最終作品の作・出演者である川津望氏による

「クラウド・チキン 羅宇RuN乱痴気LOuDCLowN 川津望+古沢健太郎」を終えて

を公開しています。

これは続くシリーズへ渡す橋、渡されるバトンとしても書かれています。

窓枠越しの風景(2017年8月20日~10月29日)

8月20日 今井蒼泉 インスタレーション&パフォーマンス
9月2日  町田藻映子+柳静
9月9日  罪/つくよみ+栁静
9月18日 宮保惠+本田ヨシ子
9月19日 古沢健太郎+岡野愛
9月28日 友似
9月29日 山田花乃
9月30日 なごしいずみ
10月8日 田中奈美+入間川正美
10月14日 佐久間佳子+万城目純
10月22日 若尾伊佐子
10月28日 山田裕子+源一郎
10月29日 坂本美蘭

〈企画コンセプト〉

これまで、.kitenでのシリーズでは、
「水盤」そして「雨」を意識したインスタレーションを展開する機会をいただいた。

いずれも、そのマンションの一室という「場」を越えて突き抜けるものを求めてのことだったように思う。
そして、ふと。
逆のベクトルで、「こもる」ということについて目を向けてみた。

内と外。自分と社会。その間の境界線は、どこにあるのか。そもそも、境界はあるのか。
世界の全てが自分の夢だったとしたら、それは世界を自分が包摂したことになるのか、
あるいは世界という幻想の手のひらの中で、「自分」だと思っていた情報の小さなパケットが
動いているのを見つめているだけのことなのか(誰が?)

***

そしてまた。
言語があることで、概念を定着させることができる。そして言語をトークン、通貨としたコミュニケーションが可能となる。
しかし、言語によって、コミュニケーションで使いやすいトークンは限定される。
茫洋と広がる世界は、グリッドで区切られることで、小さな使いやすい単位へと切り分けられていく。
言語が備える世界のグリッドは、コミュニケーションの手がかりであり、そしてまた、茫洋たるものを囲う檻のようなものでもあるのかもしれない。

……などと寝言を書いてみる。
しかしものの表れは、ものの表れ。
動きの表れは、動きの表れ。
上で綴ったような寝言は脇に置き、その場の「機」を、いけられれば、などと。

───今井蒼泉/龍生派

「クラウド・チキン 羅宇RuN乱痴気LOuDCLowN 川津望+古沢健太郎」を終えて(川津望)

写真:坂田洋一

まず着目したのがクラウド・チキンの「影」。その影は、どのような形象へと変化を遂げてもひとつの文法で貫かれているように思われた。それは鶏が長い間、抑圧されてきた経験に基づく声にできないことばのようにも感じられた。今回、朗読とパフォーマンスをするチャンスが与えられたときに、私が一番関心のあったこととは、まさにこの声にできないことばについて表現することだった。理不尽な理由から社会的に声をあげることのできない者。暴力にさらされ、たとえ勇気をもってして加害者に立ち向かったとしても、いつの間にか情報操作され存在ごと消される者。見えているものより、隠されているものについて今は取り上げる必要があるのではないか。パフォーマンスだからこそ見立てが表現上に生きる、およそそのようなことを念頭に置き羅宇RuN乱痴気LOuDCLowNは作られた(※1)。

 

私が本公演で使ったモティーフは、宮廷道化師だ。宮廷道化師は笑いものの対象とされる一方、君主に向かって唯一無礼なことも自由に言える存在だった。道化師に言われたことで君主が笑うとすれば、それは君主にとっての図星であり、本来なら触れてほしくない内情でもある。ちなみに宮廷道化師は何らかの障がいのある者が多かった。君主と羅宇RuN乱痴気LOuDCLowNが抱える「病気」を同一視すること、これは書き手として今回の公演でどうしても外せないキーワードだった。主宰による企画コンセプトの冒頭部分「古代、鶏は神とともにあった」から、鶏/羅宇RuN乱痴気LOuDCLowNが、神/君主殺しを経て、自己の外を見出し、還るべきところへ還る。そこまでを表現するのが本公演の趣旨だった。声を奪われた者たちの仲介者として、羅宇RuN乱痴気LOuDCLowNが、自身の生みの親クラウド・チキンといかなる再会をはたすのか。おこなうパフォーマンスはまず新鮮味を出したかった。よって、その内容は即興がほとんどの割合を占めた。川津望が衣装として身体に絡めた葉はイチジクのそれを意識し、封筒へ入れたテキストの演出は「認識」を観客にとらえやすくする為の試みだった。

 

古沢健太郎が公演でやりたかったことについて彼からはなしを聞いた。それぞれの詩のイメージに沿った音作りをするとともに、全編にわたって何か統一感を持たせたかった。詩の印象とはまた独立して頭の中にあった「クラウド・チキン」より得た着想を生かし、雲は空へ、やがて遠いもの、遠い音となることを観客にイメージさせ、また自身が形作ることを目指したという。詩のイメージの音とクラウド・チキンのそれの二極を演奏によって行き来し、動きが出せたら、と考えていたそうだ。

 

公演の最終局面で川津がおこなったパフォーマンスについて。羅宇RuN乱痴気LOuDCLowNの「葉」はクラウド・チキンへと巻きつけられ、羅宇RuN乱痴気LOuDCLowNは歌いながらインスタレーションを抱擁する。君主にとっても道化師にとっても影は最も新しい。ラストの解釈は鑑賞者に委ねたい。このラストを書き手としては、次回のインスタレーションを展開する龍生派、今井蒼泉氏へ繋げたい思いがあったこともここに記しておく。

 

(※1) 羅宇RuN乱痴気LOuDCLowNはクラウド・チキンのアナグラム。

 

「作品ノート」公開しました。

公開された作品について語るという行為は、鑑賞者のみに限られたものではない…
ということで、出展者・出演者に自作について語っていただくスペースを設けました。これから公開されてゆく作品に寄せるもの、あるいは上演した作品について語るもの…「作者が、その作品について」語る、ということ以外は執筆者の解釈にお任せした形でテキストをいただいています。

作品ノート

第1回は、8月20日よりこれまでの”クラウド・チキン”にかわってインスタレーションを公開いただく今井蒼泉氏による文章。今後、氏のインスタレーションと関わりながらさらなるパフォーマンスが展開されてゆくこととなります。