撮影:阿坐弥
8月26日(土)、アートスペース.kitenには二つの白熱する世界があった。その一方へ赤い銅の螺旋を巻きつけて太陽とする代わりに、楽器の平たいブリッジにはド、レ、ミ、ファ、と左右に27本の弦が張られていた。坂入ヤスヒロが両の親指で紡ぐ伴奏、両のひとさし指でつま弾く旋律は、今井蒼泉のインスタレーション「窓枠越しの風景」の浮かぶ空間に、典雅な音色を巡らせた。もう一方の世界には竹ひごが活けられ月は沈み、太陽の万能を砕き、その破片はどんぐりとして床に転がった。月読彦がどんぐりを月に落とす。実の落下を受けて楽器の音には新たな関節が生じ、それらははじめてリズムの束縛から放たれた。私は咄嗟に坂入にあたる照明を赤くした。ドゴン族の月経期間の女性のように舞台から離れて。金狼の姿をした不完全で無秩序な反逆者ユルグが、大地と交わる。緑の毛をまとい、植物の未来を予言するという精霊ノンモが大地に与えた衣をユルグが月経の血で染め上げる。思い出すのはその衣を手に入れれば大きな力が授けられるという逸話。本来ならば白い引き戸のそばで、坂入は真紅の時間そのものとなりキゼ・ウジに七度目の振動を齎したかに見えたのだった(編註1)。
月読彦さんが竹ひごをマルにする音、ススキの穂が風になびいているような……自分のCDの中にある曲を想起しました。交流会でインスタレーションを眺めながら坂入はうれしそうに話した。彼が演奏した楽器、コラは西アフリカが発祥のリュート型撥弦楽器。大型のヒョウタンを半分に割ったものがボディとなり、断面には牛の皮が張られる。ボディの中央には長いネックが一本通され、両脇には握り棒が二本、これがブリッジを支えるのだ。坂入のコラは彼のハンドメイド。お手製のコラのネックがS字に細かく波打っているのは、本来の楽器の弦の数を27弦に変更したことで、その弦の張力によってネックが折れないように工夫した為だ。作るのに半年はかかりますね。トラディショナルはひと月。節が変なところに入っているとすればそのネックは使えない、はじめからやり直しですね。コラに関心を抱いた観客に対してアンコールとレクチャーもまじえながら、坂入は熱心に楽器の魅力をメロディーに乗せた。マンディンカ初代の王の子孫とも言われる口承伝承の伝承者グリオと、耕作地を求め、創造神の妻としての姿を大地に取り戻すべく、縄梯子の必要な山肌でも畑仕事するドゴン族の情熱が、坂入ヤスヒロからは感じられた。
グリオ一族の歴史について少し触れる。《NE DANKO;NGA SOMANO》「自身の時代の終了を告げると共に、彼が王座にいた間、マンディンカ帝国の領域はよく統治された」……初代マンディンカ王が王座を退く際、残した言葉とされる。この言葉を受けて王の子ども達はDANKOとSOMANOと名乗るようになり、マンディンカ最初のグリオが誕生した(編註2・在マリ大使館員によるレポート。PDFファイルにリンクしている)。坂入の奏でる音には作曲者らしく管理された楽曲構造、旋法への肯定感が色濃く出ている。一方、製図化されていない、自分の中に埋まっている音楽を探したい、とも話す彼の鋭い目にはどことなく大地との交わりによって言葉を得たユルグのそれが重なる。
月読彦が壺に活けられた竹ひごを引き抜き、竹ひごで空間に散らばるあらゆる竹ひごを叩き、また壺へと戻す。舞踏家はその身体によって、まるで坂入ヤスヒロのコラ奏者としての引き裂かれた面を可視化したようだった。しかし、坂入のコラはどこまでも太陽であり、彼の音には風に乾かす蝶の翅の鮮やかさが備わっている。インスタレーションとして置かれた壺にあたって弾け飛ぶどんぐりと、コラのボディの色は母子のように似ていた。私は今回、アートスペース.kitenコラ神話照明係として、太陽と月の邂逅を見届けることができたと思う。
セネガル、ギニア等と国境を接する内陸国、マリ共和国には多くの民族、言語、社会が集まる。図書館や学校の存在が一般的となった現代のアフリカにおいても、特に西アフリカではグリオは常に重要な存在だ。結婚や、神聖な文化行事などには欠かせない職業音楽家、グリオ。スンジャタ・ケイタ王の時代にその文化が花開き、マンディンカ王国を制圧した大戦中には密使であると同時に当時の王達の助言役であるなど、王に近い存在だった彼らは今もなお畏敬の念を持たれ、コラの甘美な音を響かせながら歴史上の英雄譚、各家の系譜など人々に変わらず伝えている(編註3-1、3-2)。
ギニアの山地から北東に流れてマリ共和国に入り、マリ領の中部をほぼ東西に貫流するニジェール川(編註4)流域のバンディアガラの断崖において農耕を営むドゴン族。その独自の文化においてグリオとは異なる歴史を持ちながらも、彼らは彼らの神話を大切に守り、現在も生活している(編註5)。
編註:筆者・川津望氏より、坂入氏の演奏したアフリカの楽器コラとその背景を読み解くための資料として複数のサイトが提示された。それぞれ「編註」として文中よりリンクしておく。なお、コラについては以下に解説がある。