「〈動体証明〉の証明」11/27 Guu-偶 コレクション 3つのソロ~くだをまく~佐藤ペチカ 斉藤直子 深谷正子 @kiten(評:宮田徹也)

「〈動体証明〉の証明」11/27 Guu-偶 コレクション 3つのソロ~くだをまく~佐藤ペチカ 斉藤直子 深谷正子 @kiten
.kitenの窓は、写真撮影用のバック紙で塞がれる。床左前には100×50cmほどの黒いフリーリングボードが置かれている。照明は舞台左右上下二つずつ、客席後方上二つが設置されている。つまり、.kitenが完全に舞台に転換されていた。
佐藤ペチカは、顔に僅かな白塗りを施している。時間をかけてボードに乗ると、突如、足の力を抜き座り込む。偶コレクションにおいて佐藤は重力に身を任せ、膝や臀部を打ち付ける振付が多々見られるが、急速に瓦解するイメージを形成するのは、今回が初である。
無音の中、佐藤は立ち上がることと身を崩すことを繰り返す。繰り返すといっても、39回、全く異なる様相を呈した。それは佐藤の力でもあり、微細な照明の効果でもある。電子音が反復し、力のかけ方、廻り方によって、佐藤のダンスの密度が上がっていく。
佐藤の皮膚から徐々に力が溢れていく。溢れるから、体を捩ることになる。佐藤は思いのまま、体を波打たせる。そして、体が思いを語り始める。それは、反復でも構築でも対価でもない。刻々と流れる「そのとき」に対応する地点に至りそうになる。25分。
年齢は若くとも、最早ベテランの域に届く内容の踊りを行う佐藤だが、その本領が発揮されないでいる。それは自らに染み付いたダンスを振りほどくのではなく、解放する所作を見出せないからではないか。しかし動体証明との出会いによって、その機運が齎される。
陽気な曲が流れ、ミラーボールが回ると後方中央にスポットが当てられる。斉藤直子が客席前に佇み、後方へ回りこむ。両掌を臍の前に組んでいる。ボードの位置を整え、隅に乗る。爪先が確認するように移動する。
ライトが強くつくと、斉藤もまた僅かな白塗りを施していることが確認できる、斉藤は膝を折り、視線を遠くに漂わせ、足の運びを続ける。掌が解放されていく。無音の中、足を止め、左を向き、右手を水平に挙げ、足踏みを始めるが直ぐに止める。
正面を向くと、再び足踏みを始める。体を解放しては引き寄せ、続ける。止まると上半身を折り、両手を広げて台の縁を持ち、台に額をつける。佐藤の公演時と同様の反復音が流れることにより、斉藤と佐藤が重なり、見る者の時間軸が揺らぐ。斉藤は退場する。15分。
動体証明の一端を見る。体とは何かということと、動くとはどうするべきかと構成することは無論、動体証明とは動きとは、体とは何かという問いによって、動きそのものの本来の姿と人間の創造性の意義を見出そうとしている。そこにテクニックは必要ない。
陽気な曲が流れ、ミラーボールが回転する。顔に僅かな白塗りを施した深谷正子が舞台左奥で佇み遠くを見詰め、右へ移動していく。台を持ち上げ、引き摺り、大きく足を開いて角で立たせ、台の上部を右肘で押さえる。
体を戻し、台を右へ移動させて床に置く。深谷は台に乗り、右手を高く掲げる。これをモチーフとして、肘、爪先、腰、肩、首を捩っていく、自己が踊るのではなく、外界を吸収していくように見える。斉藤と近いフィギアではあるが、意識が全く異なる。
電子音が反復する。深谷は体を竦めていく。立ち上がっても、意識は体の中心に向かって求心している。ブラウスの裾を掴んで回す。それでも深谷の持つダンスのメソッドは非常に高い。それはフォルムとテクニックを目的としている。
横たわっても、意識を一貫させ続ける。広大な宇宙からちっぽけな心の中心へ。そこに向かう途中に、動き回る体という動体証明がある。ここに、深谷がダンスに留まる理由が存在する。ダンスでなければ考えることができないのだ。25分。
陽気な曲が掛かり、ミラーボールが回る。三人が集い、犇めき合う1分を経過して、総ての公演が終了する。
今回、同じ衣装、同じ白塗り、同じ曲を用いて、三者の個性の違いを明確にした公演であった。このような深谷の発想に対して、佐藤、斉藤は、嘘のない自己を晒した。それによって、動体証明とは何かが浮かび上がってきた。深谷の次作が更に興味深くなった。
(宮田徹也/日本近代美術思想史研究)

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