【掲載お知らせ】川津望氏の作品が新聞に掲載されました

.kitenメインスタッフにして詩人、川津望氏の作品「あなた、AIですか」が、2月13日の朝日新聞夕刊3面文化面“あるきだす言葉たち”に掲載されました。

https://www.asahi.com/articles/DA3S13891587.html?fbclid=IwAR38TTRKh-Ei0UhbXBIw0DdbriTFR4T7L7bH2ahjrgzIPEFsrn9lSa4dJdQ

紙面の一部をご紹介しております。上記リンク先から(登録が必要ですが)全文が読めます。是非、お読みください。

1月27日公演中止のお知らせ

明日、1月27日(日)に予定しておりました
《風景のシーニュ/歩行のなかのまなざしー川津望『ミュート・ディスタンス』(七月堂)をめぐって》
は、企画・出演の川津望氏が昨夜より体調を崩し、今朝(1月26日)、病院にてインフルエンザ罹患が確認されたため、中止とさせていただきます。
楽しみにしてくださっていた皆さまには大変申し訳ありません。

このたびは中止とさせていただきますが、今後もまた新たな企画を練ってまいりますとのことですので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

【中止】【公演お知らせ】2019年1月27日《風景のシーニュ/歩行のなかのまなざし ―川津望『ミュート・ディスタンス』(七月堂)をめぐって 》

【公演お知らせ】2月17日《Tag1 ネガコースティカウ》

年忘れセッションとあるじの生誕祭で華やかにお開きとなった.kitenの2018年。
新しい年の企画、最初のお知らせは少し先、2月半ば日曜日のライブのものとなります。
これから続々と新たなお知らせをさせていただくと思いますが、まずはこちらをどうぞお楽しみに!


Tag1 ネガコースティカウ
タッグ パフォーマンス空間に展開する二人プログレ、もうひとつの妙味。

1980年代、異色の作曲家・川崎薫はプログレッシブ・ロックにその作品を実らせた。2010年代、生き甲斐はマゼコネ実験だというシンガーソングライター・KOWは、そこから物語性を抽出しはじめた・・・今、ストーリーは紡ぎ返され、実験は繰り返される。「Tag2 ネイキッド・ネガコ」から連続する「Tag 1 NegaKOWstiKAW」。それは川崎薫とKOWの、Negasphere Duo以来の、二人だけによるライブ。

○日時
2019年2月17日(日曜日)
 開場:18:00  開演:18:30
○入場料
 2,000円
○出演
 KOW/Vo + Nylon G
川崎薫(KAW)/Clavinova

終演後懇親会あり。
参加任意 参加費1,000円

【中止】【公演お知らせ】2019年1月27日《風景のシーニュ/歩行のなかのまなざし ―川津望『ミュート・ディスタンス』(七月堂)をめぐって 》

【本公演は出演者インフルエンザ罹患のため中止となりました】

歳を越した先に形作るもの――2018年にまず企画公演の姿で、そして川津望氏の詩集という形で発表された『ミュート・ディスタンス』。来年1月末にはさらにその詩集をめぐる新たな冒険が展開されます。どうぞご期待ください。

風景のシーニュ/歩行のなかのまなざし ―川津望『ミュート・ディスタンス』(七月堂)をめぐって

【概要】 2018年10月、川津望は第一詩集『ミュート・ディスタンス』(七月堂)を刊行しました。川津の詩は「都市のシーニュが世界=身体の相互嵌入に参入し混沌をきわめ[…]その言葉の運びのアナーキーが爽快ですらある」(野村喜和夫氏 栞より)。これは、歩行のなかで風景(都市)と身体を言語という記号(シーニュ)をもって接続しようとしている、と言えるのではないでしょうか。今回、詩人の暁方ミセイさんと音楽家の山崎慎一郎さんをお招きし、トークとリーディングを介してお客様とともに『ミュート・ディスタンス』をめぐります。

 

風景のシーニュ/歩行のなかのまなざし ―川津望『ミュート・ディスタンス』(七月堂)をめぐって
                          
1月27日(日)
第一部:トーク(暁方ミセイ+川津望、お客様)
第二部:リーディング+音楽(暁方ミセイ、川津望、山崎慎一郎)
出演
暁方ミセイ
川津望
山崎慎一郎(やましん)

照明
月読彦

■料金 一般:1,500円(ドリンク代含む)
■物販 川津望『ミュート・ディスタンス』(七月堂、1,700円)

14:30 開場
15:00 開演

終演後、交流会あり(参加任意)
参加費:1,000円

プロフィール

暁方ミセイ 1988年神奈川県横浜市生まれ。現在、福岡県福岡市在住。 幼い頃から関東近郊の山野に親しみ、詩作を開始。 2010年、第48回現代詩手帖賞を受賞。2012年、第一詩集『ウイルスちゃん』で第17回中原中也賞。2018年、『魔法の丘』で第9回鮎川信夫賞。 近著に『紫雲天気、嗅ぎ回る』など。

川津望 1986年東京生まれ。 幼少期より音楽を学び、中学の頃から詩作を開始。 2018年第1詩集『ミュート・ディスタンス』(七月堂)を刊行。 現在、表現集団「プロジェクトなづき」の共同主宰。

山崎慎一郎(やましん) 兼業音楽家。武満徹の「フォリオス」を完成させたいところだが見果てぬ夢だろう。バッハの音楽に関わってゆきたいところだがこいつも見果てぬ夢だろう。出来ないことの多さに頭を抱える日々を続行中。罪/つくよみ、秦真紀子と「浮世モード」を鋭意続行中!

写真:飯嶋康二

【企画告知】12月29日《年忘れセッション大会》

年の瀬が見えてきた頃に、セッション大会を企画いたしました。
今年咲いた様々な花実を飾り輪にするかのように、どうぞ皆さまお集まりくださいませ。
観客のつもりでいらしてそのまま参加なさるのも大歓迎です!


年忘れセッション大会

2018年12月29日
開場14:30 開演15:00 (予定)
参加費2千円 .

今年も.kitenではいろいろありました。 今年最後は、セッション大会。参加者も観客もどうぞ参集くださいませ。

《液晶線》公演評に舞台写真を掲載しました

先日「批評アーカイブ」に掲載しました、北里義之氏による《液晶線》評の記事に、当日の舞台写真を掲載いたしました。撮影は赤羽卓美氏。

http://pact-kiten.org/archives/905

改めて言葉にしがたい経験ともいうべき時間を、数葉の写真が蘇らせてくれます。その場にいらした方は改めて感じなおすために。そしてスケジュールが合わなかった方はその空気の一片でも感じ取っていただくために。

【公演お知らせ】12月27日《河崎今日子+月読彦》

師走となりました。
素敵なたくらみを2018年にし残すことのないよう、.kitenでは年末まで立ち会うべき企画を詰め込んでおります。あわただしさの中で確かな呼吸をするために、是非お越しください!

河崎今日子+月読彦

今年のtokyo sceneで初顔合わせしたふたりが、数ヶ月ぶりに再度共演。なにを企んでいるのか!

バイオリン 河崎今日子
踊り    月読彦

2018年12月27日
開場18:30 開演19:00
木戸銭 2千円

河崎今日子
3歳よりヴァイオリンを故佐藤(星出)いと子氏に師事。大学では音響工学の基礎を故若林俊介氏の元で学ぶ。卒業後、エンジニアへの道はあっさり断念。再びヴァイオリンを手に、学生オケトレーナー、劇伴演奏、ライブペイント共演の他、クラシックから、ポップス、フォーク、カントリーミュージックまで、ジャンルをあまり問わない演奏活動を展開。近年は5弦ヴァイオリンを使って演奏している。

月読彦
.kitenを運営しながら、プロジェクトなづきの台本を書いている。奇天烈月光団を皮切りにダンス公演を始める。浮世モードなるカルテットもある。もっと人前で踊ることをしよう。
昔はテント芝居をやっていた。

終演後懇親会 参加費千円(参加任意)

【公演ご感想】《プロジェクトなづき『液晶線』》へのご感想をいただきました

11月24日・25日に上演された《プロジェクトなづき》第2回本公演『液晶線』は多くのお客様を乗せて.kitenを通り過ぎ、どこかからどこかへと走っていったのです…

そんなことを言いたくなるようなご感想を頂戴いたしました。

液晶線と言う列車に乗ってきました。
東陽町にあるマンションの一室をギャラリーにした
「.kiten」が液晶線の乗車口です。
私はお芝居を観るものだと伺ったのですが、
どうしてだろう?
気づいたら列車に乗ってました。
そう。
ガタンゴトンガタンゴトン
どこからか列車の走る音が聴こえてきて
ユリの香りがして。
。。
どこかでお葬式があったのかしら?
喪服を着た男の人が列車に乗って来ました。
その人は、とても困ってる様子で、困った困ったとつぶやいている。
でも、本当はそんなに困ってないんじゃないかしら?
なぜそう思うか?
困ってる人は困った困ったなんて言わないもの
。。
困ってるんじゃなく、何か後ろめたいことがあるんじゃないかしら?
お葬式なのに誰かが亡くなった悲しみじゃなく、もっと何か、、
なんか、嫌な感じのする人だな。
それにしても、ユリの香り
。。
どうやら、列車に揺られてるうちに眠ってしまったようです。
夢を見てました。
死者が甦り、詩を歌う夢です。
その詩は、誰かの記憶であり、私の記憶でもあり、ずっと聴いていたかった。
。。。
なづき「液晶線」 面白かったです。
きれぎれの誰かの記憶を夢でみてるようでした。
しばらく戻って来れなく(戻りたくなかった)、今さっき、液晶線を降りたところです。
とても、いい時間でした。
できれば、もう一度乗りたいなあ。

K.S様

【公演お知らせ】11月30日《見えない季節 vol.21 ラスト公演》!!

見えない季節 Vol.21 ラスト公演

日時:
11月30日(金)  19時半開場 20時開演

出演:
アルチュール佐藤
罪/つくよみ
川津望
当日のあなた

木戸銭 2000円

終演後懇親会
参加任意 千円

一部では好評をえた見えない季節ですが、いったん終了いたします。次なる展開へ 梶を切りまする! ラスト、お見逃しなく!!

アルチュール佐藤と.kitenがおくる、摩訶不思議な世界にようこそ。
一昨年中咽頭癌により、死に近いどこかを放浪してきた。手術を経て、顎と喉の一部をなくして此岸に帰還してきた役者、それがアルチュール佐藤だ。

滑舌に変調を来して、声はとぐろを巻く。だからこそ届く、欠落した身体からほとばしる、言葉を聴け!
におうがごとき、渾身の露わな姿は、われらを震撼せしめよう。

芝居、朗読、演奏にて参加可能。

アルチュールの背後の亀裂をうめよ!
裂け目のなかに屹立するなにか。
そこで出会おうではないか。

ユーモラスに、時に諧謔精神に満ちた、不条理でありながらどこか共感をうむアルチュール佐藤の即興劇。この機会、お見逃しなく!

 

【公演情報】11月24・25日《なづき『液晶線』》についてー川津望氏インタビュー

いよいよ今週末の上演となる《プロジェクトなづき》ふたつめの本公演『液晶線』について。企画の中心軸となる川津望氏のこの公演に対する言葉を、制作の伸枝氏が引き出してくださいました。

ご来場前に是非ご一読ください。そしてお読みになって心惹かれた方、是非今週末の.kitenにお越しください(公演情報詳細はこちらを、登場人物の紹介はこちらをご覧ください)。

江東区東陽町にあるアートスペース「.kiten」からうまれたアートプロジェクト「プロジェクトなづき」その世界観を提示している共同主宰川津 望氏に、2018年5月12日より5回の習作公演を経て8月に公演された「なづき本公演」をもとに、その話しを伺った。

●———「プロジェクトなづき(以下なづき)」はアートスペース .kitenの月読彦さんと川津さんを中心に進行中のパフォーマンス プロジェクトですが、「なづき」という名前にも表れているように脳をテーマとされていますね。習作公演、また本公演の冒頭で、なづき(脳)が指令を出しそれに反応する演者達。という表現に「脳」の機能というものを感じたのですが、「脳」以外にも様々なイメージが混在しているように見えました。 脳以外のテーマがいくつも組み合わされている、ということでしょうか。
川津氏:というよりも、それは「ポリフォニー」ですね。

●———ポリフォニーですか。
川津氏:そうです。例えば、お互い遠いところにいる、出会ったことのないたくさんの人々がいて、そのひとりひとりが口ずさむメロディがあるとします。そのメロディを口ずさむ人々それぞれに担っているもの、背景がある。そうしたものが一つの脳の中を駆け巡っているイメージです。
一人が口ずさんでいる歌を聴いているだけでは一つの歌でしかないけれど、それが頭の中にたくさん流れることで全く違う音楽に聞こえてきてしまう。また、そのポリフォニーの内ひとつの歌に意識を向けるとまた別の聴こえ方がする。
今回なづきの本公演を考えるときに、詩の文脈で何か形づくれないかと思って、月読彦さんといろいろ話していたんですね。
音楽と詩というものはその歴史的にも重なっていて、同じ泉のところから来たものだと思うので、私のバックボーンに音楽があることもあり、切り離せないものです。

自分の詩のスタイルですが、全く接点のないようなもの・規模が違うもの——例えば宇宙・楽譜・隣のあの子・果物なんかを一体として浮かび上がってくる像、というものがあります。 そこを一番出したかった。

例えば向こうから女の人、おばあさんとかが歩いてきて「こんにちは」と言われた、でもそれに対して「こんにちは」とは返さなかったけれど、こちらは夕陽を見て、夕日に対して「きれいだね」と言っているかもしれない。そこには女の人、もしくはおばあさんが夕陽を見ているか見ていないかはわからないけれど、確かに存在している。同じ空間にいながら、同じものを見ている、もしくは見ていない。しかし確かにあるものの影響、隠されているものの影響を受け、それらへ自身をかえしている。
そういう世界の構造を作りたかった。
そして混然一体としてあるその中で、出会う人々はその内にすごくいろんな多様性を含んでいるんです。

●———なるほど「イメージが混在している」ことそのものが脳の内で起きていた。
脳という一つのテーマと共にもう一つ・・・ 三千世界という言葉、劇中で何度も登場する良寛さんの歌から宇宙・宇宙観というものを強く感じました。 なづきにとっての宇宙観とは他にどのように表されているのでしょうか。
川津氏:本公演に「みちあふち」というキャラクターが登場しましたね。
「みちあふち」というのは「コロス」と「三千世界横丁」の劇中人物「目次」などと話ができる境界線上にある人なんです。
コロスはコロスの世界があって、三千世界横丁の世界で目次は、同じく劇中の「ポウ・ポー」と同一人物という揺らぎの中にいるという二重構造のなかにいるわけなんですよね。
やはり多様性を含んでいる。
やましんさん(山崎慎一郎)は、「マリアンヌ」であったりコロスの一員として話したり。
一人の人物なんだけど、さっきのポリフォニーの話で言うと、一人の人物の中に歌が何個も入っていて、ここの歌のパートを聞いてみようかなと思うとそれが聞こえてくる。
またパッと耳を元に戻すと別の音楽に聞こえてくる。
一人の人の中に鳴り響いている音楽の中にいっぱい歌が入っている。
そういう宇宙観というのは意識しましたね。

●———以前なづきの公演のあとにお話しいただいた、入れ子構造になっているということもその宇宙観に基づいているのですね。「あは雪の中にたちたる三千大千世界(みちあふち) またその中にあは雪ぞ降る」というような。
川津氏:また、堀内薫(今井歴矢)という役が、目次に傘を託すのですが、ひろげて渡しましたよね。その傘の熱で雪に象徴される時間が溶けるわけです。
そして、滴りますよね。それが目次の言葉や感情というものとシンクロしています。
「淡雪……」から始まる、目次くんの最後のセリフなんですが。
私が良寛さんの歌を受けて作った返歌になっています。

淡雪、溶けた雨粒ひとつぶひとつぶは時計なんです。それがてんですきに時をすすめるものだから、よるもひるも色んな方向にねじれてゆきます……どんな世界や名前だって引きちぎられそうになりながら、持ちこたえている、丁度ぼくみたいにそんなフリを必死でしている。だから舌打ちしているんです。ぼくも時計だから舌を歯の前やうしろでチッチと鳴らしてみるんだけれど、やっぱりおじいちゃんの時刻は鳴らせない。おじいちゃんも淡雪でした。ぼくはだいじなだいじな一滴をうしないました。

途方もないことですが、小さなものの中に大きなものがある。大きなものの中にものすごく微細なものの震えがあったり。またその一つ一つの微細なものの中に大きなものがあったりと、無限に続いていく。そしてそれぞれに時間があってバラバラに時を刻んで、変動していくわけです。

その時間全部、自分の心身に入れたら人間は多分生きられないと思います。全部知覚しちゃったら。
そして息は出来なくなると思うんです。
本公演のラストシーンというのは 米倉香織さん作曲の「breath」息というタイトルの曲で締めくくられます。 そこからの世界は、言葉というものに集約されない音楽の世界に、ある意味バトンタッチして、みなさんに何かを受け取っていただきたく、そういう形にしました。

●———ありがとうございます。最後に今月(11/24(土)、25(日))に控えている、なづきプロジェクトの公演『液晶線』についてご紹介いただけますでしょうか。
川津氏:液晶線は私が先日上梓した詩集『ミュート・ ディスタンス』 の言葉を中心に宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』からも一部引用して、コラージュ的に再構築してつくった物語です。ですから日常的な会話のハコビとはかなり違っています。その辺のさじ加減は月読彦さんが調整してくださっていますが、テンポのいい会話劇ではなく、一つ一つの言葉がうねりながら前に進んでいきます。そのあたりの面白さを聞いて頂けるとありがたいと思います。

●———物語的にはどのような内容でしょうか。簡単に説明していただけませんか。
川津氏:ある困っている男がいて、その困っている男を困った奴だと罵る男がいる、その二人が液晶線という電車に乗って、死んだ娘とその娘と瓜二つと思えるような女性をめぐって会話しながら、どこかへ行く話です。バッドエンドハッピーエンドという風に割り切れない、内田百閒の作品を彷彿させるようなどこまでも引きずり込まれていってしまうお話です。落としどころは「そこか!」みたいなものが好きな人にはオススメですね。前回の『なづき』とは違ってシビアな話ですが、そこを楽しんでいただければと思います。

(インタビュアー:伸枝)