【公演情報】11月24日・25日《なづき『液晶線』》について

既に当サイト上にて日程や公演コンセプトなどについてのお知らせをいたしました《なづき『液晶線』》ですが、登場人物紹介、そして物語の断片などが主宰の一人にして出演者、川津望氏より提供がありましたので、こちらにもご紹介。
以下はすべて川津望氏によるテキストです。心に響くものがあった方、是非11月24日(土)・25日(日)、.kitenにお越しください。

公演詳細はこちら

液晶線 キャラクターガイド

男1(今井歴矢)

主人公であり、困っている男。社会的にそれなりの立場を持ち、精神の清浄さや霊性を唱える一方、妻子がありながら若い娘に懸想している。大切なものを失い、途方にくれるさなか、そんな男を困ったヤツと罵り「どこにいこうか? この電車はどこまでもいけるのだよ」と言う男2(山田零)と液晶線に乗ることになるのだが……。

男2(山田零)

困った、という男に「おまえは困ったやつ」なのだと罵る男。ぐるぐるまわる液晶線に男1とともに乗りこむ。どうやら男1(今井歴矢)と記憶を共有しているらしい。失ったどちらの「あの子」をおまえは選ぶのか? 液晶線内でおこったことがきっかけで更にあるものを失ってゆく男に、執拗に詰めよる彼の真意とは?

男3(園 丁)、男4(やましん)

液晶線の世界の御使いのような存在。すべてを把握するコロスたち。音楽とことばによって世界を奏で、詩人の詩語から男1(今井歴矢)の欲望を炙り出して行く。

男5(上野憲治)

液晶線に乗りこんできた不思議な男。ぐるぐるまわる液晶線内で彼にぶつかられると、何かをすられるようだ。

ナミ/しんだ娘(貝ヶ石奈美)
うしなわれた「あの子」であり、男1(今井歴矢)と禁じられた関係にある女性。「あの子」たちはどこか似ているようだ。困っている男は血の繋がりを取るのか、欲望を取るのか、それともーー。「あの子」の願いとは、なんだったのか。

詩人/しんだ娘(川津望)
その光景を観た者。書く者。

プロジェクトなづきがおおくりする《液晶線》は朗読とダンス、音楽、そしてアクトによる公演です。川津望の詩集『ミュート・ディスタンス』を原作として、月読彦が脱構築して作ったもうひとつの長篇詩、それが液晶線です。

二日公演で、料金は2千円です。

液晶線

 

帰りたかった。帰りたかった。帰りたかったーー。

こころの奥に閉じ込めていた或る秘密を打ち明けに来た男。そんな男を罵る男。「あの子」の記憶を共有するふたりが電車に乗り、向かう先は……。

川津望第1詩集『ミュート・ディスタンス』(七月堂)におさめられた詩篇を解体し、コラージュの手法を用い再構築した朗読による悲喜劇。 失われた「あの子」を舞い、「あの子」の声をふるわせるのはコンテンポラリーダンサー 貝ヶ石奈美。楽師/コロスであり、共有された記憶を語る御使いのような役どころとして園 丁、山崎慎一郎。かけがえのないものを奪ってゆく象徴的な男は上野憲治。そして主人公の分身、山田零。この朗読劇の双子である詩集の作者、川津望は自作詩の朗読とアクトで参加。主人公をつとめるのはヘブンアーティストの今井歴矢である。

ーー鏡という鏡 鏡、ミラー、ミラー、未来を写す。鏡をうつす。どこへ移そうか。

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