「水のトーテム」19日 秦真紀子+広沢純子公演ご報告

(撮影:柴田正継)

金曜日の夜、塚本氏によって.kitenに築かれたトーテムに内包された水は、秦氏、広沢氏の身体、音、行為とともに空間を満たし、そこを深い深い場所へと変えていったようです。空間の変容、そうしてあらわされるもの。立ち会った川津氏はそれを以下のように報告しています。

水のトーテムは青い紐につながれた。木枠の内側には広沢純子が灯した蝋燭の火がOHPを通して揺らぐ。わずかな明かりのなか、秦真紀子は青いパーカーのフードを目深にかぶり、青の短パン姿で椅子に座った、秦にも青い紐が結ばれている。広沢のアコーディオンがふいごのように風をおくり、水のトーテムは洗われていった。 18世紀のイタリア、最も名の知れた修復師にして贋作家であったバルトロメオ・カヴァチェッピなら、秦を修復師と名指すかもしれない。「自らの手法を完全に捨て置く(※1)」かのようにこの日の秦は動きを限定させながら、青い紐を引っ張ることで水のトーテムを上に吊るし、木工ボンドの注入されたシートの一部を剥がした。秦の担う重力と、塚本の水のトーテムのそれは、広沢の奏でる3拍子調の旋律により領分を接して踊る。それはワルツよりも激しており、まるでアルプスの渓谷の奥でたのしまれるダンスのようだった。美術史家マリオ・プラーツは「ハイド氏の顔から少しずつジキル博士が透けて見えてくるのとそっくりに、贋作の仮面の下から贋作者自身の顔が少しずつ現われてくる」と言っている。 秦と広沢が本公演で過剰に修復したかったものは何か。塚本がシャボン玉を吹くと、秦は水のトーテムのひとつから水を浴びた。水のトーテムの「水」が私を、私の技法を模倣していると表現したように思われた。作品介入者という観点もまじえ、秦は塚本の水のトーテムの手法を尊重しながら、うす青く皮膚に透ける静脈/身体を徹底させ、また広沢もそんな秦の手法を尊重しながら空間や秦の身体の並行世界を奏することに徹底した。作品介入者による修復が徹底されることで生じる「贋作」という問題を逆照射させることで、秦真紀子と広沢純子はそれぞれの表現をも修復したと言えるだろう。

(※1)保存修復の技法と思想 古代芸術・ルネサンス絵画から現代アートまで 著:田口かおり 平凡社より

 

(撮影:いずれも柴田正継)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です