「水のトーテム」13日 山田花乃公演ご報告

(撮影:川上直行)

13日はパフォーマーとして山田花乃氏を迎えての公演。愛と、そして未来と過去双方へ延びる記憶を思わせる時間となった模様。以下、本企画総合ディレクターたる塚本氏による報告。

寛容さと愛を実践して生きてゆきたいのです。水のトーテムの奥深くまで降りて行こう。山田花乃さんとの公演はまさに、寛容さ、そして愛が全てでした。

現時点の、永遠の山田花乃。

愛は時間軸を持って語れるものではありません。時を簡単に超えて行きますので、出来事は10年前のことも10年、20年先も簡単に飛び越えて来ます。ですから、ここで書かれるレヴューも公演もそうであったように、一続きの、一息の塊です。「愛に溢れていた」その一言であり、同時に30年先の山田花乃の踊りも含まれているのです。

一期一会の踊りに始まりがあるとするならば、world’s end girlfriendの耽美とともに始まり、終わりがあるとすれば、 Spiral Lifeの甘美とともに終わりました。la! neu ?の”Goldregen”というアルバムから抜き取られた曲が挿入されましたが、無音も含め全ては一つの塊でした。同時に、それらは直線に並んだ時間ではない「永遠」でした。

耽美なメロウと暗闇を纏い、大きなガーベラを車で曳きながら現れた黒服金髪の山田花乃は未だ無名の女であり、喪に服すように静かに虚ろに歩む。表情は泣くでもなく、弔うでもなく、空を食べるように息をする。または名前を思い出そうとしていたのかも知れない。目を合わさずにいたガーベラが大きな存在感だけを持つことに気づき、内心驚く。または、始まりはまだガーベラが山田花乃であったのかも知れない。ガーベラに顔を埋め、無名の女は金髪を無造作に脱ぎ捨て「山田」を取り返す。
彼女が舞台上で2回「山田の早着替え」を行い、花弁がはらはらと解けていくように、または、掴みかけた手を放つようにするりと離れていく姿は、事実「山田」が想像していたこととは別の方法で着替え損ねるのも「愛」でした。

ピンクのワンピースを纏ったのはまぎれもない山田花乃であり、彼女の色彩に少しずつトーテムが馴染んで行く頃、彼女は野原に出会う蜜蜂の群れであり、群れからはぐれ、海に出てしまう1匹でもありました。
ガーベラの茎をオールに見立て海原を彷徨い、足を痛めた母を思い出し、杖をつく。(そう、思い出すと、彼女と初めて会った時、彼女は大層に骨折して松葉杖をついて現れたのでした。あの時は上半身だけで踊ってくれたのですね。2005年、あの時の花乃ちゃんも居たのかも知れませんね。)

中盤の山田花乃の踊りはエネルギーに満ち溢れます。運動、純粋なその熱は一体何処に行くのでしょうか?彼女の体から生成される息遣いは彼女の摂取したエネルギーを表現の愛に満たし永久に灯す。夢中で飛び跳ねるダンスは永久機関でした。
それでも尚「あれ、、あれ、、」と漏れる言葉は彼女の踊りの引き出しを開け、探し回って、全てひっくり返して見つけたその踊りは20年先30年先または10年前、20年前に踊られたダンスであり、ここで一期一会で初めて生まれた表現への福音です。

既に表現の愛を知る私たちは、2度目の「山田の早着替え」がいつかスルスルと服がはだけ永遠が生まれ変わり続けることをも容易に想像しうるし、現時点の山田花乃と20年先の一期一会を、今この目の前に焼き付けることができるのです。

最後はトーテムの中の水玉を仰ぎ、煌めきの中で降り注ぐ水玉の光に満たし、トーテムの中に身を寄せて終わります。その唯一決められたシーンに向けて、時間は先へ先へと進んでしまうことを、儚くあるが、しかし、立ち会えた全ての人たちと、表現の愛を知る人、知ろうとする人たちは、そのことがいつでも目の前にある『永遠』だと知っているのです。また、何度でも出会いましょう。

永遠の山田花乃へ。

(撮影:ともに川上直行)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です