8月26日(マチネ)『なづき』公演評(評:北里義之)

 


(写真:佐藤ユカ)

(写真:川津望)

8月26日(日)東陽町.kitenにて、月読彦/川津望のおふたりが主宰する “プロジェクトなづき” の第一公演『なづき』のマチネを観劇。詩人、俳優、劇作家、作曲家/演奏家、ダンサー、美術家と、それぞれに才能を発揮して独自の活動をしている個性が集まり、ひとつの作品制作に関わることで場/場所が発生するという、「起点」としての.kitenのありようを、抽象的なビジョンではなく、現実としてそのまま提示してみせる作品でした。その意味では、SNS上に投稿される数々の経過報告から、すでに作品ははじまっていたと思います。今回参加されたのは、ダンス関係[日替わり出演]では、貝ヶ石奈美、武智博美、武智圭佑、秦真紀子のみなさん、演劇関係では、田口 和、アルチュール佐藤、山田 零、月読彦、山崎慎一郎、川津 望、今井歴矢のみなさん、演奏/作曲関係では、園丁、川津 望、やましん、米倉香織のみなさんでした。ここでの「ダンス」は、秦真紀子さんが「妖精」を演じるという性格のものでした。このことからして、公演の全体を今風にいうなら、テント芝居の色彩を色濃く残すフィジカル・シアターとでも呼べるのではないかと思います。アルチュール佐藤さん演じる「なづき」は、「脳」を意味する古語(あるいは方言)で、電気パルスのリゾーム的接合を本質とする、存在としてはとらえられないそのありようが人格化されたもの。わけのわからないことばかりとりとめもなくしゃべりつづける横町の賢者おじさんのように演じられていました。描き出される物語は、「起点」を.kitenとするような関係のありよう、すなわち無限に才能が連結していくなづき的関係性そのものの未来を、田口和さんが演じる遺産相続人の鈴木目次/ポウ・ポーに相続させるという物語、あるいは相続人が自分の当事者性に気づく物語だったように思います。この意味で、最後の場面に登場した「おば」が、祖父の財産をひとりじめしようとするエピソードは、分割したり、所有したりできる抽象的価値(金銭)の相続のことをいっていて、なづき的相続との鋭い対比になっていたと思います。ただしこれらの言葉に対する目次の応答は空蘭になっていました。おそらくはそこが未来に開いた唯一の穴ということなのでしょう。■

(写真:川津望)

(写真:佐藤ユカ)

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