(撮影:小野塚誠)
FBイヴェント頁によると、「舞踏考」は「現在、舞踏はどのようなまなざしを得ているでしょう。(中略引用者)舞踏家に留まらず、多くのジャンルの表現者にもお集まり頂きたく思っております(川津望)」ということを主眼とするシリーズである。第一回が本公演であり、東日本大震災が起こってから7年、主題は「鎮魂」となった。
この日のインスタレーションは、川津望と演劇者のゲストである谷川俊之が形成した。舞台左奥に展開している。割り箸、骸骨、紐、網、針金、毛糸、枯れ枝等によって構成され、私は荒れ果てた更地というよりも、津波そのものを感じた。私は当時から今日まで3.11の映像は目にしていないが、仙台・閖上港へは取材に赴いたことがある。
ハーモニカのような電子音が聴こえてくる。山崎慎一郎と川津が舞台右に登場する。山崎はボイスからバスリコーダ、川津は細かいタンギングを発する。山崎はボイスとリコーダを交互に演奏する。川津は細かく笑っては声を捻り出す。闇の中で二人の掛け合いは凡そ10分続き、来るべき物語の序章の役割を果たした。
森川雅美が舞台に登場し、朗読を始める。「訪れる、訪れる。風の向きが変わる。7年の時間。小さく見えています。私達はゆっくりと容を失います。黙祷、黙祷、黙祷」。山崎はハウリングを入れ、川津はハミングを繰り返す。三者による鎮魂の儀は、20分続いた。それは、繰り返し噛み締めるような悲しみに満ち溢れていた。
黒いビニールを被り、尻尾のようなホースをつけ、上体を床と平行し、膝を折って低い姿勢のまま、小林嵯峨は舞台を廻っていく。森川は朗読を続け、山崎は電子音によるノイズを、川津はスクリーミングを放つ。舞台中央右で嵯峨は蹲る。長い沈黙を経て、嵯峨は突如立ち上がる。正に地鳴りが起こったように。
嵯峨はビニールを被ったまましゃがみ、両手を広げ、中腰でさ迷う。床を転がる。ビニールが解かれると、マスクをつけ、胸元に紐の塊を入れている嵯峨の姿が剥きだしとなる。顔につき長く後方に伸びたホースを外し、立ち上がり、上を向き、腕を巡らせる。膝が床につき、首が擡げ、背が床に近づく。腰で座り、肩を揺らす。
胸元のオブジェを外し頭に乗せて、立ち上がり辺りを揺らぐ。山崎のリコーダ、川津のボイスが嵯峨の動きによって派生する。森川の朗読が続く。嵯峨は腰を低くしながらも爪先で立ち、うつ伏せから大の字の仰向けとなる。嵯峨はマスクを取り、腰で立ち、立ち上がろうとするが瓦礫のように崩れていく。
嵯峨は膝の間に顔を埋める。そして、退場する。嵯峨は焦げ茶のシュミーズに着替えて舞台に戻る。胸には薔薇、腰にはぬいぐるみをつけている。嵯峨はインスタレーションの傍らに腰をかける。立ち上がり、首を傾け、横へ進む。中央で立つかと思うと、客席との結界を破るかのように突き進み、後方壁面で立ち尽くす。
嵯峨はインスタレーションに薔薇を捧げる。山崎の電子音とボイス、リコーダ、川津の声、森川の朗読は絶え間なく続いていた。袈裟を纏った谷川俊之が鐘を鳴らし、般若心経を唱え、舞台を鎮めると85分の公演が終焉する。
山崎と川津の演奏は緩急がつき、森羅万象の無情さを感じさせた。森川の朗読は非常に現実的であるからこそ、実体を忘れてはならないことを暗示させた。嵯峨の舞踏は正に舞踏そのものであり、このシリーズの本質を貫いた。同時に嵯峨の鎮魂もまた、形而上と形而下の根源を我々に突き付けたのであった。
本公演では舞踏の根源の開示と、舞踏が他のジャンルの表現者との共演を果たせるという姿を見せてくれたのであった。朗読、演奏、声。技術など不要である。我々は自らと自己を取り巻く人間と環境と共に共存し、生きることと死ぬことの尊さを実感しなければならない。そのために、芸術は不可欠であることを伝えていかなければならない。
(宮田徹也|嵯峨美術大学客員教授)
小林嵯峨(舞踏)
谷川俊之(ゲスト)
森川雅美(即興詩)
山崎慎一郎(音楽)
川津望(ボイス)
演出/照明(月読彦)
19:15-20:40
(撮影:小野塚誠)
(撮影*小野塚誠)
(撮影:大杉謙治)
(撮影:大杉謙治)
(撮影:小野塚誠)