速報: 水のトーテム 山岡さ希子Sakiko 『Black Cosmos on the Palms』

(撮影:川津望)

「水のトーテム」8日に行なわれたのは、昨年は「12時間バターを見つめる」のパフォーマンスを行なった山岡さ希子氏によるワークショップとパフォーマンス。

以下、今年も山岡氏と共に1日を作り上げた塚本よしつぐ氏による報告。

★★★

山岡さ希子ワークショップ
〜静かに丁寧に〜

1.

水のトーテム自体をどこに置こうか。わたしはまず空間の中央よりをえらんだ。最終的には「手のひらの黒宇宙」をする際、養生のためのシートを引くのが決まっていて、それをどこに設置するかということを再検討した。真ん中にあると、ややまわりをくるくるまわるような一種の儀式的な様相を帯びてくる。
水のトーテム自体がパフォーマンスにとって、障害である。わたしは壁際に水のトーテムをコの字で寄せた。バリケードとして障害である水のトーテムで空間の入り口付近をふさぐと、この空間に入ること自体が、水のトーテムの中に入るひとつのアクションであり、空間全体がトーテムになるのではないか。
一度バリケードをめぐらせた。そうすることで参加せざるを得ない状況、観客もどう水のトーテムに入るのか、入らないのか、選択することを余儀なくされる。

われわれはお客さんが来たときに「どうぞ(welcome)」としかいいようがない。
その前にイエスとしか言わないという案もあったが、バリケードに否定的な態度、すなわちこれは「入れないのですか」という問いに対してもイエスとしか言えないことは不本意である。よって、われわれは「どうぞ(welcome)」と言う境地に達した。

2.空気の彫刻についての提案

わたしは最初山岡が空気の彫刻と言ったときに、何か気功のような行為をふたりでおこなうのかと思っていた。実際には、このバリケードを作ることが空気の彫刻を作ることであった。
その後、ヨーゼフ・ボイスの社会彫刻という概念とはどう関係があるのか、それについて話し合った。
われわれのおこないたいパフォーマンスは、正義の問題とは異なり、迷う、戸惑うということを敢えて観客に起こさせることも許容である。その考えに至った。

3.「手のひらの黒宇宙」の進め方について

音を聴いている態度が重要であり、音が飽和したらとめることを心がける。たとえば振動、音、空気、墨のにおい。
作品を共におこなうことが目的であり、同じ動きをすることではない。目的が一緒であれば、ちがうやりかたでおこなうという結論にいたった。

なお、月読彦は南極の氷を割るようにあしうらを小刻みに引きずりながらバリケードからトーテムへ入った。

報告:塚本よしつぐ

★★★

そしてこうやって準備された空間に対する応答のひとつとして、川津望氏は以下のように感想を寄せています。

ー水のトーテムで作られたバリケードの中にはもてなしのととのいがあった。わたしは公演の際体調が悪く、トーテムバリケードの外で公演の静謐な音に耳を傾けていた。壁に寄りかかり、目をとじて塚本氏と山岡氏のパフォーマンスを体感した。想起するよりひかりに近いはやさで、おのおのの手のひらへ触れてゆく一瞬の彫刻。脳が選んで運んできてくれる墨の香りや墨をする音、何かをめくる音が塚本氏から発せられたものとも山岡氏からのものともわたしは見ることができないのだが、すぐそこで鼓動しているあたたかな身体、仕草を感じた。どのような身体状況にあってもその時その時の参加の仕方を示してくれる「welcome」で満たされた空間だった(川津望)

写真も同じく川津望。当日撮影した“水のトーテムの中にある夕暮れ”とのこと。

 

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