【公演速報】《シリーズ 光の界面 野村喜和夫+小森俊明》について

月半ばの三連休の最後は、光の界面の場にて詩人・野村喜和夫氏と音楽家・小森俊明氏が出会いました。読み上げられる言葉、奏でられる音楽が紡いだ第1部、そして今回のシリーズでは異色ともいえる対談企画の中でお二人の芸術への対し方が姿を現した第2部。
.kiten運営者、川津望氏のことば、そして中村みゆき氏と川津望氏による写真で当日の様子をお届けいたします。
  撮影:中村みゆき
シリーズ 光の界面 野村喜和夫+小森俊明はある意味においてとてもユニークな公演でした。第1部のコラボレーション、作曲家でありピアニストである小森さんのピアノの演奏は、(西洋)音楽の歴史の層から極光のうねりを引寄せたかのように、多くの音が持つ階調を担うものでした。後半はピアニカを演奏しながら歩行するなど、動きをとりいれてのパフォーマンスも披露されました。野村さんは澄んだ川の水を飲んだあとのような張りのある声で処女詩集『川萎え』から2篇ほど朗読されたあと、突如「だれ? 」と言いながら.kitenの外へ。ほどなくしてお帰りになると「会陰讃」の朗読がはじまりました。また『閏秒のなかで、ふたりで』から「エクササイズ」もお読みになり、小森さんの5度音程を平行的に用いたピアノと相成って、身体表現を伴った過激なパフォーマンスもおこないました。ラストは『薄明のサウダージ』。「誰何(すいか)」の呼びかけが、.kitenへ溶け込んでゆきました。
   撮影:川津望

第2部 対談 野村喜和夫+小森俊明「詩と音楽の前線」(司会:川津望)ではまず野村さんと小森さんが身体表現と詩、音楽の関係において大切にされてきたところについて、おはなしをしました。聴衆や読者のはなしになった時に投壜通信やベンヤミンのはなしをしつつ、それらはもはや近代となっている、と野村さん。「以前は水準の高さで作品を評価し、また難解な作品でも読みたいという気持ちから、読者が読むために学ぶことがあった。現在は評価や作品の成立の仕方が多様化し、好悪で読む作品、聴く作品を選ぶようになっている」と現代の状態に対し警鐘をならすような方向へ対談はすすんでゆきました。AIの作るものは詩か、音楽か、アートか、というテーマにもはなしは及びました。現在さまざまなアーティストがAIを方法として使っている中、野村さんと小森さんのおふたりは決然とした態度をお持ちになりながらも、言葉に対して慎重になられていました。対談の最後に、野村さんはスマートフォンと人の距離についてはなしをされました。「いま、からだが消滅している」……そのことばから、川津は野村さんの絶望のようなものを感じました。身体と詩、音楽のはなしから身体の消滅へとはなしは導かれ、1時間強の対談を終えました。1部、2部、そして懇親会まで野村さん、小森さん、そしてお客様で対談では語りつくせなかったことをしばし話し合いました。
 撮影:中村みゆき

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