まるで聾演劇のように──yurina「天板のないテーブル」5日目(評:北里義之)

まるで聾演劇のように──yurina「天板のないテーブル」5日目
(観劇日:2016年11月3日)

「坂巻ルーム」「水のある光景」「生成/~なる」など、東陽町のアートスペース.kitenで、今年にはいって進められてきたインスタレーション展示とコラボレーションの組合せは、10月22日(土)から11月20日(日)にわたって開催されるパフォーマンス・シリーズ「天板のないテーブル」に継続され、10組17人の出演者が、従来通り土日休日に公演をおこなうことを基本にしながら、期間中には、今年の6月9日に他界された浜田剛爾氏の追悼公演も特別にプログラムされている。タイトルの「天板のないテーブル」は、実際にスペースが所蔵し使用してきた家具のひとつで、不揃いな脚を持った今井蒼泉作の椅子と組み合わせるなどして、すべてのパフォーマンスの共通条件にしたものだ。今回初の試みとなったのは、与えられる条件の唐突ぶりを補うため、この家具にまつわる「戯文」が書かれたことである。ある朝目覚めるとベッドのなかで毒虫になっていたというカフカの短編『変身』にちなみ、日常性のただなかに出現した不条理な存在の物語が一人称でつづられている。「戯文」は無視することもできるが、5日目の公演に登場したyurinaは、彼女なりの潤色を加えながら、「戯文」が示す物語を忠実に再構成していく一人芝居をおこなうことで、「戯文」を戯曲として扱ったといえるだろう。

音楽がなく、言葉もなく、偶然にも、この晩は周囲の生活音も響いてこないひっそりとした環境で演じられたyurinaのパフォーマンスは、日常的な身ぶりだけでなく、脚がすっとあがったり、脇や後方に気持ちよく伸ばされたりするダンス的な動きをはさんで構成されていた。主婦らしい装いをした主人公のひとりごととして演じられていくすべては、まるで聾演劇を観るようだった。朝の目覚めから、天板のないテーブルへの接近と迂回、ペットボトルと紙コップを載らないテーブルに載せようとしてくりかえされる空しい行為、部屋の隅にすわり、すでに彼女を去った恋人(あるいは夫)からの電話を待つ様子、テーブルにつく見えない相手の姿にさしのばされる両手、いとしげになでられる椅子の背中や台座、何度となく床に落下するペットボトル、それらが日ごとのくりかえしとしてつづけられていく。誰もいない、もしかするとすでに廃屋になっているのかもしれないこの場所で、どうやらすこし精神に変調をきたしはじめている主人公は、幻想の繭のなかに閉じこめられて生活している。彼女の夢が覚めることは永遠にないかのようだ。

与えられたテーマを忠実になぞりながら、yurinaはそこに人の喪失を重ねあわせ、恋人の不在を受け入れることのできない主人公を演ずることで、天板のないテーブルを彼女自身として描きだした。ある日突然、自分を「毒虫」としか感じられなくなるカフカの物語は、天板のないテーブルを介して、恋人を失った主人公の自身(の身体)に対する異物感へとつながったのである。その一方で、ダンス的な手足の動きは、チェルフィッチュのように、こうした場面設定や演技の外部からやってくるものとしてあり、主人公の意志にかかわりなく勝手に動いてしまう別の生き物のようだった。くりかえされる日常の風景は、劇的瞬間の到来による終焉を期待させた。たとえば、気持ちよく伸びていくyurinaの手足が、天板のないテーブルをまたぎ越していき、彼女を包む幻想の繭をみしみしと踏みしだいていくような、質的な場面の転換を期待していたように思う。しかし彼女の行為はドラマ性を帯びることなく、yurinaの演技は、そのようにする身体の存在を最後まで許すことはなかった。

穴だらけの空間で──南阿豆「生成/〜になる」最終日(評:北里義之)

穴だらけの空間で──南阿豆「生成/〜になる」最終日
(観劇日:2016年10月10日)

スペースを主宰する奥野博が基本のアイディアを出し、前衛華道家の今井蒼泉が制作したインスタレーションを共通の条件にして、週末ごとに多彩なゲスト・パフォーマーによる日替わり公演がおこなわれるアートスペース.kitenの企画展は、水をテーマにした夏の「水のある光景」から、木をモチーフにしたオブジェが室内を浮遊する「生成/〜になる」へと移り、制作者である今井蒼泉のパフォーマンスを皮切りに、9月上旬から多彩なゲストを迎えて開催されてきた。水槽のなかにたゆたう手強い水の物質感にくらべると、まばらに設置された枯れ枝や細竿のオブジェ群は、「水のある光景」とは対照的に、殺風景なマンションの一室に、穴だらけの空間を分節するように思われた。行為者の立ち位置によって、内側と外側がたちまちに反転していく空間の性格は、アルトーの「器官なき身体」のようなもの、言い換えるなら、縦横無尽に気の通う空間を形作っていた。上手も下手もない、天井も床もない、観客席もホリゾントもない空間に、シリーズ最終ゲストの南阿豆は、モデラートを刻むメトロノームを手にして、暗転後の暗闇に外のベランダから滑りこんできた。

ここでのダンスは物語を描き出さない。踊り手自身の身体や、いくつかのオブジェを種にして、その周囲にひとつひとつ動きを発生させていくだけである。南が持ちこんだメトロノームは、時間を刻むことを目的とするものではなく、それが最初に置かれた場所を(方向性を喪失したこの空間では「仮の」というべき)ダンスの開始点とするものだった。メトロノームから遠ざかった先で、天井から垂直にさがるスポットが彼女をとらえる。見えない誰かから左手を後方にねじあげられるようにして、あるいはまばゆい光を両手でさえぎるようにしてくりかえされる身体の上下動。さらにその場所から後退していくと、その先では、天井からさがる電球を抱きかかえたり、ほおずりをしたり、頭上高く捧げあげたりしながら、壁に映る自身の巨大な影とダンスした。そのまま電球を手放すと、胎児の姿と、海老反りをくりかえして床上を転々としてから、頭上の光に手を伸ばし、電球の真下で反り身からゆっくりと上体を引き起こす。ひとつとして同じ動きがない。そのままうつぶせになると、まるでいきどころをなくしたように床のうえを這いまわり、壁まで移動すると石のように動かなくなった。

照明が電球の赤からスポットのブルーへと移り、パフォーマンスの後半がスタートする。後半では、床と天井を弓なりに結んで設置された何本もの細い竹竿が、前半では見られなかった大きな動きを発生させる装置となった。生き物のようにしなう竹竿が、ダンサーの足もとをすくう危うさを封じこめながら、その場で踊りの形を模索する一発勝負のダンスがつづく。前後半でのダイナミックな動きの変化は、彼女の舞踏作品でしばしば採用されるスタイルを反映したものともいえるだろう。踊りの終着地点は、空間のセンターに置かれた切り株を彷彿とさせる茶色い物体の入った円筒だった。動きのスピードを落とした南が、円筒の横に座り、祈るように前屈をくりかえすなかで暗転、身体は闇のなかに沈んでいった。そこで終幕かと思われたが、そのあとふたたび暗闇を歩きまわる足音が響き、黒い影になったダンサーは窓から退場していった。

本展の開始に先立つ企画説明のなかで、主宰者の奥野は3つの生成モデルを提示している。いわく、(1)種から発芽して花が咲いて枯れていくという植物生成モデル、(2)混沌が陰陽(男女/牡牝)に分離したあと「結合」によって万物が「生まれた」とする動物生成モデル、そして(3)神がすべてを創造したという無からの生成モデル。あるいは制作行為モデル。この図式にあてはめていうなら、南阿豆の舞踏は、奥野自身が示唆している(「舞踏が日本的なのはやはり『〜なる』という表現スタイルを強く意識しているからなのかもしれません」)ように、ひとつひとつのオブジェを種にダンスを発生させたという点で、植物生成モデルと呼べるだろう。それは混沌を殺すことなく、その都度異なる開始点と終止点を仮設し、いくつもの穴を吹きすぎていく風のようなものといえるだろう。後半に訪れた大きな動きを、演劇的クライマックスと受け取ることもできるが、おそらくそれは習慣づいた観客の眼にそのように見えるだけで、踊りはひとつの穴の周辺で、オブジェを種としながら発生したに過ぎなかったのである。

胎児のまどろみ、羊水としての水──田辺知美「水のある光景」(評:北里義之)

胎児のまどろみ、羊水としての水
──田辺知美「水のある光景」(観劇日=2016年8月21日)

「水のある光景」に迎えられた多彩なゲスト・パフォーマーのなかでも、田辺知美の舞踏は、場面転換がないという点でとりわけ特異なものだった。これはおそらく、長期間にわたる田辺の「金魚鉢」シリーズで私たちが見てきた、床のうえに寝た姿勢で展開される面的な踊りにも通じているだろう。田辺の踊りを見る私たちは、これまでダンスらしくない動きの日常性や、なにがしかの構成を読みとらせない動きの無目的さに視線が吸引されて、それが章立てのない一場面の踊りであることの重要性を、じゅうぶんに意識できていなかったかもしれない。

田辺のパフォーマンスは、水槽まわりでの踊りを捨てるところからはじまった。下手サイドに腰をおろし、おもむろに水槽への侵入を開始する踊り手。水槽の縁を越して両手を水につけ、指にからみつく草花をはらうようにしながら、腕を沈め、ほどいた黒髪の先を濡らし、ゆっくりと水のなかに左足を入れていく田辺。身体の方向を縦に、また横にと移しかえながら彼女がとった動線は、水のなかに座りつづけながら、反対側のコーナーまで水槽を対角線に横断していくというものだった。反対側のコーナーでは、水槽の縁に頭を乗せ、浮輪に乗って浮いているようなかっこうで全身を弛緩させ、しばし休息の体勢をとる。ふたたび元のコーナーに戻る途中、手にからみつく花や草を身体に乗せると、最後に、赤ん坊をいとしげに抱きかかえるように大輪のケシの花を胸元に掻き抱き、あっさりと立って踊りを納めた。普通ならクライマックスといえるようなこの動きのなかでも、場面は転換しない。

「水のある光景」において、水槽まわりの踊りを捨てたことには大きな意味がある。というのも、それが踊りにとって、水槽のフレームをそのまま(外部を持たない)世界の枠組にすることにつながるからだ。水面に浮かぶ色とりどりの草花は、偶然それに触れる踊り手の身体、あるいは動きそのものを細分化していくことになっていたが、それだけでなく、水槽に「無意識」や「池」のイメージを与えるような、ある深層構造をそなえた垂直の世界を幻想させるものにもなっていた。ここにはコンテや舞踏の別なく、場面の交代を描き出すあらゆる種類の踊りとはまったく別の世界が立ち現われている。おそらくそれは、視覚や聴覚が空間や時間を切り分ける以前にある(はずの)、私たちが盲者になり聾者になることで生きなおされる触覚的世界のようなものだろう。

深谷正子「水のある光景」(評:北里義之)

8月28日(日)、2カ月にわたったインスタレーション展「水のある光景」の最終ゲストは深谷正子だった。水槽の周囲の床にはたくさんの小さな鏡が立てかけられ、水槽の底に横たわる数枚は、天井に四角い光を反射している。水に濡れたティッシュの塊が水槽の縁にへばりつき、プラスチック製のつぶつぶ(籾殻のかわりに枕のなかに入っているクッション材)が床に散乱している。最終日、壁の絵や天井のモビールははずされていた。深谷が水のなかで踊るのは初めてのことだそうだ。ブラインドの外からやってくる薄明かりのなか、水槽のなかに立った人影が、バシャッ、バシャッと足で水を掻く場面からスタート。冒頭のこの場面は最後にリプリーズして、ダンスの枠構造をなした。

スティーヴ・レイシーらしきソプラノサックスが切り詰めたシングルラインのメロディーを描き出すなか、一歩、また一歩と、ゆっくりとした歩調で水槽の縁なりに歩く踊り手の動線は、2m四方という狭いスペースを、立ち位置の変化でさまざまに性格づけていくもので、既視感があった。中西レモンが主催していた畳半畳である。タイトル通り、畳半畳を踊り場として共通に課すそのシリーズで、畳を広く使うために、何人ものパフォーマーがていねいにその縁を歩くのを見ていたからだ。この動線のとりかたは、踊り手が、「水のある光景」を、まずは水槽の分割という空間性においてとらえたことをあかしていたように思う。

ゆっくりとした歩行で水槽を時計回りに一周する踊り手。水槽の角々で方向を変えるときに身体の表情を変え、違う方向から来る照明に質感を変えしながら、途中で水の底に沈んだ鏡(に映る自身の影)を踏む際にはあしらいをするなど、細かく変化する身体で序奏部を作っていった。出発点に戻ると、そこから水面に手を伸ばし、膝をつき、腰をおろし、うつ伏せになっていく入水の儀式がスタート。深谷にとっての水は、武智博美や田辺知美が描き出したような死のイメージに連結するより、バプテスマの水、生まれ変わる生命に触れるということのようであった。特に水の冷たさや水面に広がる波紋の動きと感応する身体のさまは、水槽の分割による正確な動きとは別に、彼女のダンスでは表立つことのない、遊戯的な動きを生み出していた。そこからは横寝して足をあげるなどいくつかの形をはさみつつ、水槽にすわって身体を回転させながら動き、再度立ちあがると、水槽を反時計回りに歩きはじめたものの(クリシェと感じたのか)それを中断し、水槽の中心あたりで、また水槽内をランダムに歩きながら、両腕や上半身の動きを使った踊りを展開していった。全体的には、立つ/座る/立つの三部からなるシンプルな構成のダンスだったと思う。■(2016年8月30日 記)

横滑ナナ「水のある光景」(評:北里義之)

【横滑ナナ@東陽町.kiten「水のある光景」展】承前。「水のある光景」を企画された奥野博さんは、水のインスタレーション展に身体を招く意図を、「水は身体では制御できない。そこに詩的イメージが溢れだすはずだ。因果律では思考は停滞する。ランダムにことが起こる過程に身体を浸すのだ。水自体の夢想が目の前に現れるはずだ」と記し、より具体的に「物質(リアルな水)と壁面や天井に展示した、表象たる絵画やモビール(水をイメージさせた作品)の中に身体をどうさし込ませるのか」と企画意図を語られています。身体は表象であり、同時に物質であることで、ある結節点をもたらすものと考えられているわけです。
一方で、個人的な話になりますが、私の演劇の原体験には太田省吾さんの作品群があり、『水の休日』(1987年11月初演)などでは、舞台全面に1センチ5ミリ程の水が敷き詰められ、そのうえでパフォーマンスが進行するという、今回とよく似たシチュエーションの反演劇を経験しています。太田さんは、私たちが無意識にドラマを求めてしまうという演劇の制度性から身体を解放するため、ここで奥野さんがいう「制御不能の物質」を、ドラマに「単調」で「退屈」なだけの無数の穴を開けるため導入したと語られています。どちらにおいても水はよく似た働きをしている(期待されている)ように思われます。
さらに身体の側に立てば、身体が物質であることを踊るというのは、ダンスのなかでも特に舞踏の課題として知られるものですが、この共通の課題に、さまざまな人がさまざまに取り組むことになるという意味で、これから本展を訪れる身体表現者たちの挑戦が、いったいどのような帰結を生み出すことになるのか楽しみです。■

7月28日(木)東陽町.kiten「水のある光景」展での日替わりパフォーマンス第12回、横滑ナナさんのソロ舞踏を観劇。開演がいつもの時間から遅く設定され、日没から一時間後、すっかり暗くなった夜の時間帯、暗転後の屋内では、周囲の団地からやってくるかすかな光にぼんやりと照らされた窓が唯一の光源。屋外のベランダに影がうごめき、静かにサッシ窓が開くと踊り手が滑りこんできました。薄手のフレアスカート、袖や襟に折り返しの飾りがついた茶系の上着、左足だけに黒いストッキングをはき、うしろでまとめた髪に赤いリボンと花をあしらうといういでたち、顔を白塗りにして目のうえに赤い紅をはいていらっしゃいました。水槽の周囲をめぐり、上手の奥から水へと侵入していき、水の中心で踊り納めるという流れは、狭い屋内を水槽が占領する展示構造の必然なのでしょう、入水する場所までが博美さんとおなじ動線をたどりましたが、水のなかでくるくると円舞曲を舞ったあと、ザ・ピーナッツのヒット曲をバックに立て膝になったあたりでねっとりとした舞踏に急変、水面に手のひらを乗せ、左足の黒いストッキングを右足にはきかえるなど、横滑さんにとって水のある光景は、身体に光を着飾るための水舞台といった様相を呈していました。相良ゆみさんが担当した照明は、水の動きを光の動きへと転換して、美しい風景を描き出したと思います。


武智博美「水のある光景」(評:北里義之)

7月2日(土)から8月28日(土)までの期間、東陽町.kitenで開かれているインスタレーション展「水のある光景」の会場で、土日を基本に、今井蒼泉さんが設計された2m四方の水槽を使い、水にちなんだパフォーマンスがリレー開催されています。7月23日(土)の第10回は舞踏の武智博美さんによる『水の胃袋』、エレクトロニクス演奏の武智圭佑さん(maguna-tech)や、この晩は即興ヴォイスをされたシンガー小平智恵さんとの共演でした。浅く水を張った水槽の正面、右端に置かれた丸椅子に、すでに開場時から背中向きで腰かけた博美さんは、わずかに上半身を傾けるなどしながら、水槽をとりまく観客の、そこだけ誰もいない上手奥のコーナーを見つめていました。白いブラウスにピンクのスカート、紺の靴下といういでたちをした踊り手の頭部は、目だけを残して包帯でぐるぐる巻きにされ、長い髪が包帯の下からはみ出ています。観客たちの会話がさざめき、BGMで賑やかなポピュラー音楽が流れるなか、湖畔の人岩のようになり、じっとエネルギーを溜めつづける様子。開演時間がきて暗転、上手床からくる照明を身体に受け、時計回りでゆっくりと背後を振り向く動きはじめが、すでに最初のクライマックスでした。

【武智博美『水の胃袋』@東陽町.kiten「水のある光景」】承前。「水のある光景」におけるパフォーマンスの存在は、身体表現というよりも、身体が関わることで水がどのような物質に(イメージ)転換していくかというところにポイントがあるようです。バシュラールの物質的想像力をヒントにした発想で、まさに身体を飲みこむ「水の胃袋」のようなもの。博美さんの舞踏では、開場時に彼女が見つめていた上手コーナーで包帯をほどき、スポットライトが水面を沼のように浮きあがらせるなか、正座して水面に身を乗り出し、片手で水に触れ、両手で水をすくいとりしながらおこなわれた水という物質への侵入/交感が決定的な転換点をなしました。しかしそれ以上にイマジナリーだったのは、水槽のなかでしだいに動きを少なくしていった身体がやがて静止し、天井を仰いでまっすぐに伸ばした手足のかすかな動きが、水に浮く女性の肢体を出現させた最後のクライマックスでした。といいますのも、水のなかの彼女の姿が、オフィーリア・コンプレックスと結びつく死のイメージを掻き立てたからです。溺死した乙女。頭部をぐるぐる巻きにした包帯が喚起する外傷性=悲劇性、薄暮のなかで青に染まり、永遠のやすらぎへと手招きする静かな水面などがイメージ連鎖して、一挙に意味を帯びはじめる幕切れだったと思います。

   

「〈動体証明〉の証明」11/27 Guu-偶 コレクション 3つのソロ~くだをまく~佐藤ペチカ 斉藤直子 深谷正子 @kiten(評:宮田徹也)

「〈動体証明〉の証明」11/27 Guu-偶 コレクション 3つのソロ~くだをまく~佐藤ペチカ 斉藤直子 深谷正子 @kiten
.kitenの窓は、写真撮影用のバック紙で塞がれる。床左前には100×50cmほどの黒いフリーリングボードが置かれている。照明は舞台左右上下二つずつ、客席後方上二つが設置されている。つまり、.kitenが完全に舞台に転換されていた。
佐藤ペチカは、顔に僅かな白塗りを施している。時間をかけてボードに乗ると、突如、足の力を抜き座り込む。偶コレクションにおいて佐藤は重力に身を任せ、膝や臀部を打ち付ける振付が多々見られるが、急速に瓦解するイメージを形成するのは、今回が初である。
無音の中、佐藤は立ち上がることと身を崩すことを繰り返す。繰り返すといっても、39回、全く異なる様相を呈した。それは佐藤の力でもあり、微細な照明の効果でもある。電子音が反復し、力のかけ方、廻り方によって、佐藤のダンスの密度が上がっていく。
佐藤の皮膚から徐々に力が溢れていく。溢れるから、体を捩ることになる。佐藤は思いのまま、体を波打たせる。そして、体が思いを語り始める。それは、反復でも構築でも対価でもない。刻々と流れる「そのとき」に対応する地点に至りそうになる。25分。
年齢は若くとも、最早ベテランの域に届く内容の踊りを行う佐藤だが、その本領が発揮されないでいる。それは自らに染み付いたダンスを振りほどくのではなく、解放する所作を見出せないからではないか。しかし動体証明との出会いによって、その機運が齎される。
陽気な曲が流れ、ミラーボールが回ると後方中央にスポットが当てられる。斉藤直子が客席前に佇み、後方へ回りこむ。両掌を臍の前に組んでいる。ボードの位置を整え、隅に乗る。爪先が確認するように移動する。
ライトが強くつくと、斉藤もまた僅かな白塗りを施していることが確認できる、斉藤は膝を折り、視線を遠くに漂わせ、足の運びを続ける。掌が解放されていく。無音の中、足を止め、左を向き、右手を水平に挙げ、足踏みを始めるが直ぐに止める。
正面を向くと、再び足踏みを始める。体を解放しては引き寄せ、続ける。止まると上半身を折り、両手を広げて台の縁を持ち、台に額をつける。佐藤の公演時と同様の反復音が流れることにより、斉藤と佐藤が重なり、見る者の時間軸が揺らぐ。斉藤は退場する。15分。
動体証明の一端を見る。体とは何かということと、動くとはどうするべきかと構成することは無論、動体証明とは動きとは、体とは何かという問いによって、動きそのものの本来の姿と人間の創造性の意義を見出そうとしている。そこにテクニックは必要ない。
陽気な曲が流れ、ミラーボールが回転する。顔に僅かな白塗りを施した深谷正子が舞台左奥で佇み遠くを見詰め、右へ移動していく。台を持ち上げ、引き摺り、大きく足を開いて角で立たせ、台の上部を右肘で押さえる。
体を戻し、台を右へ移動させて床に置く。深谷は台に乗り、右手を高く掲げる。これをモチーフとして、肘、爪先、腰、肩、首を捩っていく、自己が踊るのではなく、外界を吸収していくように見える。斉藤と近いフィギアではあるが、意識が全く異なる。
電子音が反復する。深谷は体を竦めていく。立ち上がっても、意識は体の中心に向かって求心している。ブラウスの裾を掴んで回す。それでも深谷の持つダンスのメソッドは非常に高い。それはフォルムとテクニックを目的としている。
横たわっても、意識を一貫させ続ける。広大な宇宙からちっぽけな心の中心へ。そこに向かう途中に、動き回る体という動体証明がある。ここに、深谷がダンスに留まる理由が存在する。ダンスでなければ考えることができないのだ。25分。
陽気な曲が掛かり、ミラーボールが回る。三人が集い、犇めき合う1分を経過して、総ての公演が終了する。
今回、同じ衣装、同じ白塗り、同じ曲を用いて、三者の個性の違いを明確にした公演であった。このような深谷の発想に対して、佐藤、斉藤は、嘘のない自己を晒した。それによって、動体証明とは何かが浮かび上がってきた。深谷の次作が更に興味深くなった。
(宮田徹也/日本近代美術思想史研究)

日本文化の根底を模索する―「Performances & Exhibition 浜田剛爾展」(評:宮田徹也)

2013年10月17日(木)-27日(日)に.kitenで開催された「Performances & Exhibition 浜田剛爾展―京都大学西部講堂 1989−1993」は、細分化され尽くした今日の芸術の動向に対して、大きな波紋を投じる展覧会と公演になった。
この企画は展示、浜田剛爾と関わりがあったアーティストの公演、関わりがなくともこれからのアートを背負うアーティストの公演、浜田を知る者、知らない者のトークといった、5つのセクションが互いに連鎖し、交錯して「現代」という一つのアーチを描いたのであった。
展覧会は西部講堂公演の写真のスライドと当時のフライヤーという簡素なものではあったがバブル景気に浮かれる雰囲気は一切なく、芸術を探究する真摯な姿勢が伺われた。
浜田剛爾は「パフォーマンスとは何か」を追求した。その為、概念を前面に出し、身体を酷使することだけがパフォーマンスではないことを示した。それに応えるように、水嶋一江は紙コップを使用した音楽の視覚的ライブを、武井よしみちは身体とペインティングを交えたスタンダードなパフォーマンスを、ヒグマ春夫は映像と音楽を融合させた公演を見せた。アコーディオンの岩城里江子と唄いの長谷川六の公演が台風によって中止になったことは残念であったが、三者は浜田同様、どのジャンルにも収まらない「現代美術」の発想を主張した。
浜田と直接関わりがなかった者達も、同様に分類できない姿を晒した。成田護は土方巽派舞踏と音楽の裏表一体化した公演を見せたが、照明、絵画にも深い造詣を携えている。ヴォイスを主体としている富士栄秀也は今回、seido(音具)、坂巻裕一(ペイント)、三浦宏予(パフォーマンス)と共に、予定不調和な演劇的
世界観を垣間見せた。ダムタイプに所属していた川口隆夫は今日、世界的に有名な大野一雄の舞踏を完全コピーしている。今回もその片鱗が光を放った。浜田と同時期の暗黒舞踏、アングラ演劇の潮流は地下水として脈々と流れていることが明確となったのである。
及川廣信と鴻英良というベテランの対談は当時を振り返るものではなく、現在の二者の研究を報告するものであった。演劇、ダンスだけではなく、社会学、政治学を通り越して人類の発生に至るまでの、文系/理系を超えた知の対話が果てしなく続いた。浜田と共に京都大学西部講堂のパフォーマンスを企画した長谷川六は、当時の状況を詳細に報告した。その時気付かなかったことが、振り返ると理解できてくる。途中で批評家の松永康を交えた対談は、二者の美術に対する精密な視線が明らかとなった。
華道家の今井蒼泉と.kitenを運営する東京パフォーミングアーツ協議会理事長の奥野博による対談は、浜田を知らないからこそ、自由で広大な世界にまで踏み込んでいった。私もまた、浜田を知らずとも日本のパフォーマンスの動向と変遷を報告した。私は日本近代美術史で修士号を取得し、修了後にダンスの批評も論じ、映像学会で主に日本の1960年の動向の発表を繰り返しているが、パフォーミング・アーティストの先行研究は殆ど存在しない。驚くべきことは、浜田の活動を書いた文献が全くないことだった。それでも現在50歳台後半からのアーティスト、画廊主、キュレーター、批評家に浜田を知らない者はいない。その時に、浜田を語ることが出来なかったことが一つの批評として成り立っていたことを、私は明らかにした。同時に、本格的な浜田剛爾研究の必要性を感じた。
今回、重要だったのは、80歳台から30歳台という、年台を超えて様々な立場の者達が集ったことではあるのだが、それほどまでに、今日のアートは細分化されている。喩えダンサーが美術作品を前にして踊ったとしても、それはコラボレーションに過ぎず、今回のような定義できない何かを生み出そうという発想は持ち得ていない。日本の芸術は近代以前、例えば襖や引き戸に描かれるといった、絵画では定義できない姿であった。能や歌舞伎も当然、現在でいうダンスではない。浄瑠璃、盆栽、華道や茶道、雅楽という、他の国では絶対に実現されていない文化も存在する。そういえば浜田剛爾が至りついたのは、世阿弥の『花伝書』であった。浜田剛爾のパフォーマンス、浜田に感化され刺激され影響を被った者達は、もしかしたらそのような日本の文化の根底を探っているのかも知れない。
今日、新しいアートの動向は次々と生まれ、研究が追いつかないことが現状である。このような浜田剛爾を、忘れられた存在にしてはならない。浜田を忘れることは、日本の文化を見失うことになる。それは何も大掛かりな費用と会場が必要なわけではなく、ワンルーム程度の会場である.kitenで行うことが可能であることを、今回の展覧会は証明した。真の現代美術に、時間と場所は関係がない。今回の展覧会は始まりに過ぎない。私はこれからも浜田剛爾の展覧会がここ.kitenで継続し、その小さな種がやがて大きな実を結ぶことを、大いに期待している。(宮田徹也/日本近代美術思想史研究)

批評◎『GUU―偶―くだをまく』(評:宮田徹也)

『GUU―偶―くだをまく』(2013/10/29 アートスペース.kiten)評

今でこそ当たり前のスタイルとなったが、畳に座り、小さなお膳に面して食事をとっていた私達にとって、高い椅子とテーブルによる食卓とは、ヨーロッパの深い森のように底知れない世界観と歴史観を感じてしまう。豪奢なデザインの食器と過剰な数のグラスは、富、名誉、志向、嫉妬と言った欲望を象徴する。

この公演はそういった欲望の「果て」ではなく、「裏腹」に焦点を当てている感があった。右側に大きなテーブルと小さなテーブル、左側には小さなテーブルが設置され、右には乱雑に食器とグラス、口紅とレタスが置かれているが、ワイングラス3つ、左側のテーブルに1つあるところを見ると、4人が食卓に向かうことを想起させる。

出演者が二人なのに一人前でも二人前でもない四人前の設えに、ゆとりが生まれる。後方に吊るされたベニヤ板ほどの三つのアクリル板は、空間を閉塞的にせず、ひろがりを持たせる。これら舞台装置によって、我々の「日常」とは虚構であり、本来の「自我」に到達すると、そこには何があるのかを考えさせてくれる。.kitenが最大限に変容した。

暗転により公演が始まる。二人は二つのテーブル間に設置された椅子に座り、前を見据え、微動だにしない。同じ下着を着け、乱雑に顔のみ白塗りしている点は共通し、深谷は青、佐藤は黒のワンピースを身に纏っている。恐らく、深谷がポケットに録音機を入れて移動した「日常」生活の音が流れる。しかし、ここにも日常など存在しない。

佐藤は伏し目となり涙を流し、深谷は佐藤から顔を背ける。かといって、座ったままの視線の運動や沈黙といったパフォーマンスや、踊らないことによって踊ることが、この公演の軸となっているのではない。開始から17分経って、深谷は座ったまま上半身を沈め、佐藤は立ち上がり右のテーブルへ向かう。

この後二人は触れ合うことも向き合うこともなく、日常の動作でも非日常のダンスでもない「何か」を続ける。深谷は完璧なまでに意味を剥奪させた。ポストモダン・ダンスやコンテンポラリー・ダンスは、近代以後、現代であってもダンスを引き摺る。動体証明は、真に今日のダンスと向き合って、いま、ここで何をすべきかを直観として見せる。

佐藤の動きは未だここまで至っていない。未だ自分に染み付き、纏わり付くダンスを、拭い去ることが出来ていない。しかし公演が進むに連れて佐藤から、徐々に無駄なものが削ぎ落とされている。重力の動きに従って、いらないものがどんどん落ちていく。ダンスさえも。すると何時か、佐藤は自らに戻ることが可能になる。

二人が擦れ違い、交差し、遠くで向き合うことによって、一時間の公演は終了する。二人は同化することも離別することもなく、しかし他者で在り続けることは無かった。それはむしろ、正子とペチカという個人すらも放棄し、新たな世界=モダン以後の現在に向けての投棄であると解釈することが出来よう。

我々は本来、日常=非日常、個人=全体という世界に生きている。日常であることが実は日常ではない。非日常に埋没しても、日常から逃れることが出来ない場合もある。日常に居るからこそ、日常の本質が垣間見えることもある。自己と他人の区別も同様であろう。我々は日常≠非日常、個人≠全体という近代が捏造した分類を乗り越えなければならない。

宮田徹也(日本近代美術思想史研究)